私のサッカー観戦の始まりは、高校サッカーでした。あの頃、まだルールも知らず90分がとても長く感じました。そして、1993年ジュビロ磐田の中山雅史選手を応援するようになって素人ながらサッカーの楽しみを感じるようになりました。戦術的なこと・面白いことはあまり書けませんが、気持ちだけはいっぱい詰まった観戦記ですので、興味のある方は読んでみてください。ジュビロとゴンが好きな方ならその当時の思いが蘇るかもしれませんよ。 記憶がだんだん薄れてきて残念ですが、特に印象に残っている試合を簡単に振り返ってみました。 |
1998年/ 1997年/ 1996年/ 1995年/ 1994年/ 1993年/ 1985年
得点王・ゴンの晴れ姿をこの目で見ようと横浜へ。ベストイレブンにジュビロから6人も選ばれ華やかな舞台だった。そして、MVPは・・・チェアマンの口から「鹿島」でなく、「ジュビロ」という言葉が最初に出た瞬間、喜びでいっぱいだった。 1998年JリーグMVPは、私達の誇り・炎のストライカー中山雅史選手だった。ゴンちゃん、おめでとう!
第1戦で敗れたジュビロは90分以内で勝つことが条件だった。ところが、セットプレーから2失点。トシヤのゴールで1点は返せたものの、とうとう力尽きてしまった。 選手達が挨拶にやって来た。ゴンは「申し訳ない」という仕草で一礼した。
2ndステージ最終戦この試合に勝って、もし鹿島が負ければ、ジュビロ優勝・完全制覇。だから大阪まで思い切って出掛けた。ところが試合が始まるとあれよあれよと失点。追いついてもまた失点。どうしてなの?折角来たのに。 でもやっぱり今年のゴンは違った。やってくれましたゴンの2得点で最後は逆転勝利。鹿島が勝って優勝・完全制覇は逃したものの、ゴン文句なしの得点王(36得点)が決定。ところで、やっぱりチャンピオンシップはやるのね。
監督が代わりどこかちぐはぐで不安いっぱいで始まった1stステージだったが、チーム全体で積み上げてきた「中山貯金」のお陰で優勝することができた。 ジュビロは本当に強くなったと思う。この1週間力が入って入って、どうしたら勝てるのか、勝ちたい。絶対に90分以内で勝つと頭の中はジュビロでいっぱいだった。 3対1 ロスタイムからの「喜びの歌」の大合唱はとても感動的だった。次は完全制覇だ!
日本がどうしても欲しかった得点、やはりそれを唯一手にしたのはゴンだった。 DFと競い合い倒されても倒されても起き上がってボールを追い、シュートがGKに阻まれた時、地面をたたいて悔しがる姿、足を引きずりながらもプレーを続ける姿は十分すぎる位私達の心に伝わるものがあった。これが日本代表・中山雅史だ。 プレッシャーとの戦いで眠れなかった日々も終わり、次はケガの治療とリハビリとの戦いだ。
本当はフランス・ナントに行くはずだった。出発の前日、とうとうチケット問題が解決せず断念。 家のテレビで見るのが悔しくて、夜袋井まで東名を飛ばし大勢の中(約1,100人)でスクリーン観戦をした。
試合前→私達の誇り中山雅史いよいよ登場!トレビアン・ゴールを祈って。肩の力を抜いて落ち着いて。 SBSテレビの番組へ祈りを込めてこのメッセージを送った。
ジュビロ、中山最高!!!ゴンはこれまでも数々の驚くべき事を成し遂げて来たが、今回のこの記録はどんなに努力しても誰にもできることではないし、きっと日本サッカーの歴史に残ることだろう。Wカップでのゴンゴールも夢ではないような気がしてきた。すごい人ですよ、全く。 実はこの文章を書いたのは、3試合連続ハットトリックが決まった時だったが、このあと4試合目のハットトリックを決めてギネスに載り、Wカップでもゴールを決めるとは本当にびっくりしてしまう。
とてもとても苦しい試合だった。私達サックスブルーはほんの片隅に追いやられ、真っ赤に染まったスタジアム。 次々に出てしまうイエローカード。そして相手FWの演技にやられ、1人退場。どうしてこんな大事な試合で。 WE ARE THE CHAMPION.ジュビロが日本一に!そして、ゴンはMVPに選ばれた。おめでとう!! (鹿島の心無い1部サポーターの行動は一生忘れない。選手と喜びを分かち合う大切な時間を奪われてしまった。そして、係員に警護されて私達が帰りのバスに乗り込むなんて信じられないことだ。) *この試合を振り返るラジオ番組の中で感動する実況があり、このテープを聞くと今でも涙が・・・。
ジュビロが市原で優勝を決めた時にも、日本がWカップ出場を決めた時にも、たとえどんなにうれしくても泣く事はなかったのに。延長後半終了間際、清水のVゴールが決まった瞬間、涙がドドドーッとあふれ出した。 1週間前にカシマのゴール裏左隅で味わった屈辱を晴らす意味でも絶対に負けられない試合だった。
Wカップまでの道のりは本当に長かった。それも最終戦延長後半13分まで引っ張られ、忘れられない日となった。 自宅にいながらも気持ちはマレーシア。39分ゴンがGKと1対1になった時は祈るような気持ちだった。いつもと違って?落ち着いて決めてくれた時にはうれしいというよりほっとした気持ちだった。 4年前に逃したゴンの夢がこの日やっとかなった。
ゴンが代表に選ばれる事を祈って買ったセット券。国立に通い続け、4試合目でやっと中山登場! 試合開始からゴンにチャンスが何度も訪れたが、硬くなっているのかなかなか決まらなかった。でもそれまでの試合とは全然違っていた。気持ちがビンビン伝わってきた。そして、名波のCKに相手DFの頭かまわず飛び込んでゴール。もう最高! 試合後は新幹線に乗リ遅れないように即退席し、駅まで走らなければならなかったが、この日は隣の席の人に「お疲れ様!」と声をかけられ、勝利の余韻に浸りながら心地よいダッシュとなった。
是非ジュビロの初優勝をこの目で!行きましたよ、市原まで。最初は相手に押されぎみだったが、奥のシュートをきっかけに後半はゴールが止まらなかった。最後アジウソンからいいボールが来たのにゴンが決められなかったのが残念。 そして、鹿島が清水に負けたことを勝矢選手が伝えに来てくれた。 来て本当によかった。試合終了後、プリマコーチとの喜びの握手もいい思い出ですね。
4年前の悔しい気持ちと今度こそが交じり合って、熱気いっぱいの国立競技場。始まりを告げる音楽が鳴った瞬間の雰囲気はもう2度と味わうことはできないだろう。どんな大切な試合でも。 だから今でも国立の試合に出掛けた時、JRの乗り換えのホームで流れる音楽(ドロロロロロ〜ン)を耳にすると、この時の胸の高鳴りを思い出してしまう。
上位進出を狙ってジュビロも負けられない試合だった。相手も優勝をかけた大事な試合で集中力も高く緊迫したいい内容だった。 とても風が強い日でドゥンガの狙いを定めたようなFK、終了間際にスキラッチの折り返しを服部が押し込んだ決勝ゴールは忘れられませんね、うれしくて。
後半ドゥンガのCKの時、ボリのマークなしでゴール横に立つゴンを見て、「よし、フリーだ!いける。」と思った瞬間ゴンが体ごと飛び込んでシュート!思い通りの展開に飛び上がって喜んでしまった。こういう感動をもっともっと味わいたいですね。 でも最後のチャンスは非常に残念だった。サポーターの目の前だと力が入りすぎてしまうのか、シュートを撃つタイミングが少し遅かったのか。とにかく開幕戦(ガンバ)の時のような、思い切りのよいシュートを期待したいですね。
この日はメイン席ホーム側で観戦。藤枝東高サッカー部OBの人達が、「中山雅史」の横断幕を取り付けているのを見かけた。しかし、メイン側は横断幕禁止。しぶしぶはずしていたが、とても立派な横断幕だった。 ゴンは試合中、ブッフバルトと激突して左ひざを強打、後半からマサと交代した。
ゴール裏2階席で観戦した。流れるようなプレー、これぞジュビロのパスサッカー!
3月7日ゴンが314日ぶりに試合復帰した。私の次の願いは、”祈GON GOAL” これだけだった。 おめでとう、待ちに待ったゴンゴール♪ 遠い位置からだったが、私は確かに見届けた。そして、ドリブル突破からのトトへのアシストは最高だった。まだ体調が万全でないとのこと、決して無理をしないように。ゴンの笑顔が見れて本当にうれしかった。 帰りのバスの中のゴンにメッセージを送った。「復活 祝GON GOAL」 と。
ゴンがミュンヘンの森を、ものすごい勢いで走っている写真を見た。リハビリとは思えない程の姿に感動した。来年はいい年になりますように。
疲れがあるのか何かかみ合わず、見ていてだめだと思ってしまった。ところがどっこい、残り5分の反撃はとてもすばらしいものだった。マサが決め、トトが同点ゴールを決め、前も後ろも右も左も大人も子供も皆が皆立ち上がっての応援だった。90分終了と同時に突然の大雨。そして、不思議にも雨が止み、Vゴールを願ってスタジアム全体が燃えた。 試合には負けてしまったが、ジュビロの選手達の闘志には感動を受けた。こういう戦い振りを見せてもらうと、チケットを手に入れる苦労も前の席を確保するために5時間前から並んで待つ苦労も吹っ飛んでしまう。この日はVIPルームにいるゴンの姿をじっくり見る間もなく応援し続けた。こんな素晴らしいことが身近にある磐田の人達はつくづく幸せだと思う。
サッカー観戦はやめられない。アウェーでは人数が少ない(約250人)こともあってまとまりができ、応援のボルテージは一段と上がる。そして、延長の末PKの勝利となれば最高の喜びだ。サポーター全員で肩を組み「ゲットゴール!ゲットゴール!」の大合唱だった。 遠いカシマから夜明け前に自宅へ着くと、すでに朝刊が届けられ、その紙面にはジュビロ勝利を喜ぶサポーターの写真が載っていた。新聞って早いのね。
前日はナビスコ決勝だった。決定力、これが課題だ。点を取られた場面は、あっ!ラモスをフリーにしてあーあー!と叫んでいる時カウンター1発だった。残念、夢はかなわなかった。この経験を今後に生かして欲しいものだ。 当時は静岡市の西武にもジュビロショップがあって、選手達のサイン会もいくつか行われた。この日はオフト監督が来店。サイン色紙もいただき、写真も一緒に。ゴンちゃんのことを話そうとしたが、私の片言の英語では全く通じなかった。お恥ずかしい。でも、質問コーナーもありとても楽しいひと時だった。
おめでとう、おめでとう、バンザイ!今日はめでたい日。いい試合だった。トトも見せてくれたし、藤田もやっとシュートを決めてくれた。なにより「静岡ダービー初勝利」、それもホームで。とても大事なことだ。トトはやっぱりただ者ではなかった。ゴンちゃん、トトのいい所を全部盗んでしまおうよ。ジェラも調子がいいし、皆本当に頑張っている。
待ちに待ったJリーグだったのにゴンは長期療養に入った。私にできる事は励ましの手紙を書き続ける事だけだった。 ところが、ゴンのけがの状態は想像していた以上につらいものだったらしい。その時のゴンには、頑張れという言葉は禁句だったのかもしれない。
予定時間より少し遅れての発表だった。その日のゴンは、ずーーっと夜遅くまでテレビに登場し続けた。磐田へ駆けつけたかったが、家の前にフラッグを掲げてお祝いした。近所の人は不思議に思ったかも。 その頃は、どうして(Sチームでなく)ジュビロを応援するのかよく聞かれたものだった。
ゴンが岡部町へ!もちろん行くしかないでしょ。いつもは静かな町も、一躍有名になったゴンとお父様にTV局が押し寄せ、今日は賑やかだった。 町民センターの前でゴンがやって来るのを待ち構えた。そして、いよいよ登場!主人と2人で代表とジュビロのフラッグを振って、最終予選の健闘をたたえた。 残念ながら入場券がなく会場の中には入れなかったが、町民センターのロビーでは会場の模様を映し出すテレビがあり、それを見て我慢した。 ゴンが挨拶。あの有名な 「オレが岡部の中山だ!」 そして、夜にはパーティーが。これも当然中へ入れるわけがなく、とにかく通りはすごい人だったですね。
69分ラモスのスルーパスに反応したゴンが、勝ち越し点を決めた。それは念願のWカップへ1歩近づいたかにみえた。 ところが悪夢のロスタイム。えっ!そんなことってあるの? 泣き崩れるゴンの姿を見ると、とても気の毒でたまらなかった。信じられない出来事にただ呆然だった。
ある日の夕方、ラジオからゴンの声が聞こえた。 「僕のダイナマイトハリケーンを見ていてくれ!」 そして、このイラン戦 0−2の場面でいつものようにスーパーサブとして途中出場したゴンは、公約どおりに”ダイナマイトハリケーン” を私達に見せてくれた。ボールをかかえてセンターサークルへ走るゴンが印象的だった。
土砂降りの雨の中、グランド状態は最悪。J昇格のために両チーム共に負けられない試合だった。アンドレのFKが決まり同点、そしてPK戦。申さんが1本止めてくれてやっとの勝利。 フー! この頃雨の試合が多かった記憶がある。それでも磐田まで1時間以上かけて応援に行った。バックスタンドに陣取ったサポーターの応援スタイルも好きだったが、ゴンのプレーを見たいから我が家での応援チームはJリーグのエスパルスからJFLのジュビロに一変した。 当時は、今のような立派なジュビロバスでなくて、小さなバスでしたね。最後に乗り込むゴンを見るのが楽しみで♪グランドも芝の状態が悪くて、雨が降ると泥んこになる事もあって大変でした。応援スタイルもエスパと違って、声を出してのアットホームな応援がとても好きでした。
藤枝東高が5年ぶりに全国大会に出場し準決勝に進んだため、応援バスツアーで国立へ。 試合は両チーム無得点のままPK戦で決着。ついに決勝進出ならず、悔しかったですねー。ところで、あの時ゴンはPKを蹴ったのだろうか?蹴らなかったかな? 高校時代のゴンを知りたい人は 藤枝東高サッカー へGO!
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どれも短い観戦記ですが、いかがでしたか?思い出した部分がありましたでしょうか?
これからも皆さんと一緒に熱い声援を送っていきたいと思います。
(パセリ)