イントロダクション

「……わかりました……そうしましょう……では……」
 そう外線電話の相手に返事をしてから私は受話器を静かに置いた。
 私は灯りのない部屋の中で、一枚の写真を取り出した。
 その端整な顔立ちは、いまどきのテレビに出ているアイドルよりも何倍も美しい。
彼女から発せられるその魅力になんの反応も示さない男がいるとすれば、それはなんらかの心理的不能者ではないかと私は思う。
 そんな彼女に出会い、言葉を交わしたのは私が『薬師寺製薬』の社長に就任したパーティの席上である。
私は一目彼女を見たとき、電撃が全身駆けめぐった。
 是が非でも私は彼女と一緒になりたい。
丁重な挨拶を彼女と交わし、好印象を与えるように勤めた。
しかし私はパーティの主賓である以上、そこにとどまり続けるわけにもいかず、後ろ髪を引かれながらも彼女から離れるしかなかった。
 そしてパーティから数日経っても私は彼女のことが忘れられず、仕事もおぼつかない状態になってしまったのだ。
 私なりに彼女へアプローチをして好感触は得てはいたが、まだまだ不安であった。
だから私は彼女の身辺を私立探偵に調査させることにしたのだ。
 そしてその結果を持ってその私立探偵が今晩ここに来ると今電話があった。
ふとインターフォンの呼び鈴が鳴り響く。
 防犯カメラに一人の男が立っているのが確認できた。
「私ですが……」
インターフォンから聞こえてきたその声は、私立探偵のものだ。
「あなたですか……入って下さい」
 私は部屋の電気をつけてから扉を開く。
「失礼します」
礼儀正しいお辞儀をしてから彼は入ってきた。
「そこのソファーに掛けて下さい」
 私は彼をソファーに腰掛けさせると洋酒のたくさん入った棚から一本のコニャックを取り出す。
それをグラスに注ぎ、自分でひとつあおった。
「飲みますか?」
もう一つ新しいグラスに指をかけながら尋ねる。
「あ、いえ。結構です」
と彼は遠慮した。
「そういえばあなたは、飲めない口でしたね……」
私は冷蔵庫から一本のジュースとグラスを取り出した。
「じゃあこれをかわりに」
私は彼の前にそれを置くと目の前のソファーに腰をおろした。
「これが報告書です」
そういいなから彼は一枚のA4サイズの封筒を私の前に差し出した。
「……では、早速……」
緊張のためか少し震える指で私はそれを開封する。
彼は封筒を開封するのを確認するとジュースのプルタブを引き、グラスに注いで飲みはじめた。
 読み進めていくうちに私の顔色は、きっと見る間に真っ赤になっていっただろう。
「この報告書に偽りはないね?」
私はある一節を指しながら強い口調で彼に尋ねた。
『調査人に対して求婚を求める人物が二人現れた』
との内容のところである。
「……はい、間違いありません」
少し弱々しい口調で彼は答えた。
「そいつらはどんな奴らなんだ!」
 私がそうその輩の特徴を聞くと彼は、
「それがその……」
と言ったきり答えにくそうに口ごもった。
 私はそのことに腹を立てて、
「言わないのなら君のような探偵に用はない。君はクビだ!!」
と凄味をきかせる。
 すると彼は渋々といった感じでその二人の名前を告げた……。
「まさか……」
私は自分の耳をまず疑った。
しかし可能性と彼の過去実績を考慮すると十分事実と考えられる。
「じゃ、これが謝礼です……」
 私は謝礼金として1cm程度の厚さのある封筒をその私立探偵に手渡した。
「え、これでは多すぎませんか?」
彼は予想以上の報酬に面を食らったようだったが私は、
「いいんだ。それぐらいの価値は十分にあります。またお願いします……」
と言って彼の肩を二つポンポンと軽く叩いた。
「毎度ありがとうございます」
と彼は私にお礼を述べると、何度も頭を下げてから部屋を出ていった。
 パタン。
扉が閉まる音が耳に届くのと同時に私の中に笑いが込み上げてきた……。
「はははは……」
私は笑いながら自分の右手のを見つめた。
右手の握力が極端に低下しているのがわかる。
 あまりにも力を込めて握っていたのだろうか?
ふと私は暗くなった窓の外に目をうつす。
 眼下には、東京の夜景が広がる。
私は私立探偵から出た二人の名前を口に出してみた。
 薬師寺 利明
 薬師寺 準
「……まさか、弟達だったとはな……」
 私はいままで一度も彼らに『憎しみ』などいだいたことがなかったが、今回に関しては本気で殺してやりたいと思った。
ついでに彼は、三男の準と彼女がドライブに出かけるところを目撃したとも言っていた。
 ふとグラスの中に目を落とす。
グラスの中で準が笑いながらこちらを見ているような気がした。 
 私はグラスの中のコニャックを一気にあおった。
あの高貴なコニャックの味はまったく感じない。
 プルルルル……。 
電話が鳴りだす。
どうやら外線電話のようだ。
どうせ探偵が何か補足でもするつもりなのだろう。
 私は電話に出る気もおきずに留守番電話のボタンを押して、そのまま部屋から出ていった。

三日後。

「……なるほど」
この三日間で何とか冷静さを取り戻した。
そして例の探偵に収集させた情報を吟味しながら導き出された結論に私は頷く。
 再びグラスにコニャックを注ぎ、今度はそれを目の前でグラスを手の中で転がす。
私はソファーから立ち上がって、
「……誰にも渡さない……」 
と東京の夜景を見ながらつぶやくようにそう言った。
琥珀色のコニャックがグラスの中で美しいダンスをはじめる。
「君のためなら、僕はどんなに汚いことでもいとわないよ……」
 私はそう心に誓いをたてるとコニャックを夜空に捧げてから一気にあおったのだった………。

「……渡さない……誰にもね……」


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