後かたづけも一段落した閉店間際の午後7:30分。
 カランコロンカラン。
いつも通り入口の呼び鈴が、僕の心を躍らす。
 そこに立っているのは、僕がお付き合いをしている女性、『池田陽子』さんである。
彼女は僕より二つ年上で、健康的なスタイルの持ち主である。
 僕がここでバイトをするまでは、いわゆる『フリーター』というのをあちこちでやっていたが、今では近所の大手花屋で自分の夢であったフラワーアレンジメントを教えている。
 そこが終わってから僕に会いにこの店にやってくるのが最近の日課なのだ。
「いらっしゃいませ」
 僕はわざとよそよそしく挨拶してからお店のエプロンをほどく。
いつもの陽子さんの笑顔が今までのバイトの疲れを溶かしていくような錯覚に陥る。
 表にある看板の電気を消してから入口の『OPEN』の札を『CLOSE』に裏返す。
 カウンターに戻ってとびっきり美味しくいれた(はず)のコーヒーをカップにふたつ注いでいつもの指定席に向かう。
 陽子さんは座らずにその席のそばで待っていた。
テーブルにカップを向かい合わせに置くとその眺めのよい特等席に二人で腰を降ろす。
 この瞬間から僕は一人のお客となるのだ。
「お疲れさま」
僕は陽子さんに言葉をかける。
「浩二君こそ毎日大変そうじゃない」
「え、どこかで見てるんですか?」
僕は照れくさくなって尋ねる。
(失敗している時じゃなければいいけど……)
「お昼頃にお店の前を通るけど、いつ見てもお客さんでいっぱいじゃない? 私の休み時間は短いから待っている時間ないから毎日素通りで下のお弁当屋さんだけどね……」
「すいません」
僕は思わず謝った。
「なんで浩二君が謝るの? 別に何か悪い事した訳でもないのに……」
「いや、なんとなくですけど……」
「ま、それが浩二君らしくていいんだけどね」
陽子さんはころころと笑う。
その姿がとても可愛らしい。
「でね、浩二君。 ひとつお願いしたいことが出来たんだけど聞いてくれる?」
 陽子さんは急にまじめな顔で僕に尋ねる。
「なんです急に改まって……」
あのね私が、メイドのアルバイトをしていたのはまだ憶えてる?」
「ええ、モチロンですよ。あの金城さんとこでの事件あったやつでしょう?」
 もちろん忘れるわけはない。
なんせ僕が事件解決に少しばかり協力することが出来たことなのだから。
「そうそう。金城さんの奥さんからお願いされちゃったことなんだけど、お友達に有名な製薬会社の方がいて、……ええと名前忘れちゃった。確か漢方の便秘薬で一躍有名になった……」
「……薬師寺製薬ですか?」
 僕はおもわず助け船を出してしまった。
「そう! その薬師寺さんの御曹司達が一人の女の人を取り合って決闘をしたそうなのよ」
「え? 決闘ですか? またずいぶん物騒な話ですね……」
僕は顔をしかめた。
「とはいっても殴ったり殺しちゃったりするようなのじゃなくてもっとスマートな方法」
「決闘にスマートな方法なんてありますかね?」
「いわゆるひとつの『ロシアン・ルーレット』ってやつね」
 僕は思わずずっこけそうになった。
「どこがスマートですかっっ!!」
「あら、意外とスマートだと思うけど……まあそれに近いような物だそうだけど、少し不正の気配があるようなのね。でねその判定を浩二君にお願いしたいということなのよ」
「……不正ってもしかしてトリックめいた部分があると?」
「そうみたい。 でも誰にも発見できていないんだけどね」
「それってもともと仕掛けがない偶然の産物なんじゃないですか?」
 僕は何気なくそういってみるが陽子さんは引き下がらない。
「どうも違うようなのよ。 だって本人から聞いたんだもの」
「本人って?」
「今回の取り合われた方のいわゆる賭の対象になった女性の方から聞いたの」
「……なんでその女性から陽子さんが話を聞くようなことになったんです?」
「そうそう、それがね偶然にも私の通っていた短大同期の一人だったんだ」
「偶然ですか……」
それでね、最近あった同窓会の中で浩二君の話になったの
「ちょっと待って! 僕の話ってどんなこと言ったんですか!?」
どんなことを話しているのか是非とも聞いて置かねばならないだろう。
「……ただ、『警察に協力をして事件を解決した事がある』って言っただけ」
「な、名前とか事件内容とか具体的には言ってないでしょうね?」
「……その辺は言ってない。守秘義務とか個人的に辛い部分もあるだろうから」
「……ならいいけど」
 事件に関係する事が必要以上に公になることは、避けたいところだ。
解決したとはいってもほとんどが警察が時間をかけて調べれば、すべてが明らかになったことだろう。
ただそれよりも少しばかり早く気がついただけなのだから、あまり他人に吹聴して欲しくはない。
「ごめんね」
 陽子さんは頭を軽くさげてくれた。
「で、その人が陽子さんに『こんな話があって困っている』と言ったんですね?」
僕は途切れそうなその話を無理矢理つなぐように言葉を挟んだ。
「うん、そう」
「なるほど。でも今の話だけではどうやってもトリックをあぶり出すのは不可能ですね。その事件現場を見ていない訳なんですから……が、先程陽子さんは僕にこう言いました。 『でも誰にも発見できていないんだけどね』と。 これは第三者が見ることが出来る物の存在を表しているような気がするんですが?」
「……うん。あるけどよくわかったね」
「『でも誰にも発見できていないんだけどね』という言葉は『何人か見てもらっているが』という言葉が抜け落ちてる事に気づけば難しくはないです」
「なるほどねー。いつもながら凄いね」
 陽子さんに誉められて悪い気はしない。
「で、それは今あるんですか?」
「あるよ。 このリュックの中に8ミリビデオと一緒にだけど……」
「なら話は早いですね。僕のマンションに行って早速見てみましょう」
「え、これから?」
 陽子さんは面食らったような顔でこちらを見ている。
「……あ、陽子さんはビデオ見ているでしょうから見るのは僕だけでもいいですけど……」
「え、あ、いや私大勢の人と見たから細かい部分は見てないのよ。だから私も一緒に見たいんだけど……だめ?」
陽子さんは何故かもじもじしながらこちらを見ている。
「ぼくは別に構いませんけど……」
「じゃ、すぐ行こう! ぐずぐずしないで……」
 陽子さんは僕の腕を引っ張るようにして立ち上がるとレジへと向かう。
マスターとの挨拶もそこそこに会計を済ますと『かなん亭』を後にした。
 僕のマンションに向かう最中、陽子さんは、
「ちょっとコンビニに寄っていくから表で待ってて」
と言って僕は近所のコンビニの前で待ちぼうけを食った。
(なんで一緒に入ったらダメなんだろう?)
何となく釈然としないうちに陽子さんは店から出てくる。
「おまたせ」
 陽子さんの顔が心なしか赤らんでいる気がする。
「何買ってきたんですか?」
「……ん? もしもの時の準備」
「???」
「さ、さっさとマンションに行くわよ!」
 妙に元気な陽子さんの後を僕は引っ張られるように付いていくのだった。


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