すいーとぽてと!…日々のつぶやき
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2001年3月30日(金) 送別会
昨日は小学校、中学校ともに離任式だった。
下の二人が直接教わった先生は今回異動がなかったのだが、中学の方は校長先生をはじめ、サキの部活の顧問の先生がお二人とも異動という事態になってしまった。(部活は続くのか?という心配までされたのだ)
中学の校長先生の異動はほんとに意外なことで、卒業式の日にそのことをみんな知ったのだ。
「えっ!?」「ウソ!!」「どうして??」…などと、みーんなショックを隠せなかった。
私も。もう一年役員を続けていく中で、校長先生は頼りになる存在だから、「どうしよう?どうなるだろう?」と不安になってしまった。
夜は送別会。
先生たちの送別会の席に私たち役員は必要ないのでは…。
PTA会長さんと副会長さんたちだけでよいのでは…。と思い、最初は遠慮したのだが、校長先生やサキの顧問の先生がいなくなってしまうとなると、やっぱ事情が変わってくる。―と、出席することにした。
しかし、やっぱり私は場違いなところへ来てしまった。来ない方がよかったかも。――という思いが、送別会の間中消えることがなかった。
異動される先生たちは前に並んでいて、私たちは挨拶にも行けないような雰囲気。どうしても遠慮してしまう。気後れもする。
せめて校長先生、そして顧問の先生にご挨拶がしたかったのだが、とうとうできないままお開きの時間が来てしまった。最後にアーチを作ってその下をくぐり抜けるように先生たちが退場される時、ようやく「お世話になりました。」と声をかけることができただけ。
最後にみんな胴上げされて出ていかれた。とっても明るい雰囲気の送別会だった。
しかし校長先生は出口のところでまた、反対に私たちひとりひとりに声をかけ、握手をして送ってくださった。
ほかの小学校や中学校も同じところで送別会を開いていたので、終わって出てくるときにはごった返し、あちこちでまた握手をしたり挨拶をしたりという光景が繰り広げられた。
そういうのを私たちはかなりの時間見守っていたわけである。
校長先生は、さあ帰ろうと私たちに「お世話になりました。」と頭を下げ、私たちも「先生、元気でね!」と声をかける。
するとまた校長先生は別の知り合いに出会い、しばらく話をする。それが終わるとまた私たちにむかって今度こそ、と同じ挨拶。私たちも同じく「先生、元気でね!」…そんなのが何度繰り返されただろうか。
外へ出ても、校長先生は「あっ、傘を忘れた!」とまたフロントまで戻り、見るとまた別の人につかまっている。
そして出てきてまた私たちに挨拶。それから「あれっ、みんなどこへ行っちゃった?」とウロウロ。
…校長先生はすごく名残おしかったのでは?
中学を離れたくないのでは?――そんなふうに私は思いました。 (「そんなふうに思います。」というのは校長先生の口癖で、サキはよく校長先生のお話を聞くときに、何回この言葉を言うか、数えていたそうだ)
2001年3月27日(火) 春スキー
23日の夜に発って、岩手県の安比高原へ行ってきた。
その間に中国地方で大きな地震があったんですね。被害も大きかったと知ってびっくり。
地震の被害に遭われた方たちにお見舞い申し上げます。
ここんとこの陽気は、安比でも例外ではなかった。
3年前のちょうど今ごろも安比へスキーに行ったのだが、そのときはみごとなパウダースノー。下手な私でもうまくなったような気にしてくれた。
しかし、「安比も春めいてきましたよ。今朝は−3度でした。」と宿泊したペンションのオーナーが言っていた…というのを盛岡に着いて聞き、−3度なら大丈夫だよね。と思ったのだが…。
残念ながら、例年なら5月の気候だという。
滑っていて暑い。汗びっしょりになってしまう。ゴーグルが曇って邪魔。しかし、ゴーグルがないと雪がまぶしくて滑れない。(雪目というのになってしまうそうだ―目が赤くなっちゃうんだって)
スキーウエアの下はうすいTシャツ1枚で充分だった。慣れてる人はセーターとかトレーナーで滑っていた。
ああ…。わかっていたら、半そでのTシャツなど持っていくんだった。
お昼を食べてるときなど、暑くて半そでの人が多かったんだ。
安比では一ケタ台の気温なんて、冬じゃないんだね。
雪も、シャーベット状だった。そんなにひどくないんだけど、やっぱ滑りにくい気がする。
あったかいのはいいけど(―リフトに乗っていると「涼しい〜!」なんてこどもたちが言うのだ)、雪の状態はイマイチ。どちらがいいんでしょうね。雪の状態がサラサラパウダーってことは、リフトに乗るときなどすっごく寒いってことだしね。
楽しかった3日間は、夢のように過ぎていった。
詳しくはまた旅行記に書くことにします。
2001年3月19日(月) 感動のフィナーレ…中学校の卒業式
今日は中学校の卒業式だった。
自分の子は来年だが、今年度私は学年部長をやっていたために、なんと来賓(?)で出席。
始まる前から予想していたが、「卒業生入場」…胸にランの花のコサージュをつけた3年生たちが入場してくる時から私はうるうるしてしまって、ハンカチが離せなかった。
卒業式って、独特のあまずっぱい雰囲気がありますね。
つらい別れ。さびしい思い。でも未来がいっぱいひらけた旅立ちの式。
卒業証書授与式…270人あまりにひとりひとり手渡されて、かなりの時間だったけど、見ていて飽きなかった。
数人をのぞけば知らない子ばかりなのに、卒業証書を脇にかかえてステージから降りるとき、きちっと立って、みんな真正面を見て、そして降りてくるの。あんまり落ち着いているから、こっちがドキっとするくらい。なかには校長先生に握手をもとめ、Vサインをして降りてくる子も。―もう一人前って気がする。
第2部は3年生たちが準備した旅立ちの会。
3年間の思い出(スライド―これが凝ってた)、作文の朗読。合唱。
特に、仲間、先生、地域の人たち、そして自分の両親に対して感謝の気持ちを話すというのが心に響いた。―ひとりひとりがきっとすごく練習したんだろうね、原稿を見ないで話す子もいた。…感動。
しっとりした雰囲気、やさしく流れる音楽。上手な作文の朗読。―とても上質な時間を共有できて、今日の卒業式に出席させてもらえたことに感謝したくなった。
そして最後は、卒業生全員がステージにあがり、「大地礼賛」を合唱。…泣けちゃった。気持が最高に盛り上がった。
しっとりとした、すてきな卒業式だった。
2001年3月18日(日) 世界のサッカーを見たい!in藤枝
2002年のワールドカップ、世界の強豪チームのキャンプ地として藤枝が立候補。
ワールドカップのキャンプをぜひ藤枝に誘致しようという運動が行われているわけだが、そのイベントが藤枝市民グラウンドで開かれた。私はこのサッカー場へサッカーを見にいったことは何度かある。JFLの試合も土曜日に行われていたりする。
司会はタモリ、アシスタントが乾貴美子ちゃん。ニュースステーションのお天気コーナーに、学生の頃出演していた彼女だ。あの頃に比べたらすごく進歩した…なんて言うと失礼かもしれないが、そつなく司会をこなして、むしろタモリより彼女の方がサッカーを知っているかもしれない、と思ったりした。
お目当てはみな、カズ、ヤスの三浦兄弟だったが、トークショーに2、30分出ただけで、ろくにおしゃべりもしないで終わってしまった。――なんだ、あれ?
どーも盛り上がりに欠けるイベントだった。詳しくはまたサッカーのページに書きます。
2001年3月16日(金) いまごろ流行る風邪
昨日、サキが学校から帰ってくるなり(6時頃でしたか)「気持悪い…!」
少し休んで起きてきたら熱が。晩ごはんも食べられず、また寝る。今朝は38度4分。
風邪が流行っているようで、14人も休んでいるクラスがあったそう。
卒業式の練習中に倒れた子もいたそうだ。(卒業式は2時間40分の予定だって。なんせ8クラスだもんね。卒業証書わたすだけでも相当な時間。)
卒業式は来週の月曜日。3日あれば風邪はなんとか大丈夫だろうか。―在校生も全員出席だからね。
さーて、14日はホワイトデーだったが、サキはお返しをまたひとかかえももらってきた。
女の子からももらうのだ。先月交換した子もまたくれたりして、いまどきの子はなにかにつけてプレゼントするのが好きってことなのかね。―私らの頃はしたくたってお金がないからできないことのほうが多かったけど。なんで今の子は金持ちなのかな。…って不思議に思っちゃう。
CDだって、好きなアーティストのを予約して買うんだからね。―私は学生の頃、生協で25%OFFのときにやっとバイトしたお金でLPを買った。それなのに、今の子は中学生だって平気で欲しいCDを買う。もしくはレンタルでジャンジャン。
いったいこの豊かさはなんなんだ!親は豊かじゃないのに、なんでだ!(祖母からもらうおこづかい…)
…ところで、さっきの続きだけど、ホワイトデーのお返しは女の子からばかりではなく、男の子からももらってた。
これは誰から?と私はいちいち聞いたのだ。あだ名で言うんだ、また。
「これだけ?」「ホント?」…。ま、それ以上問い詰めるのはやめてあげた。
図書室の本の整理…学期末の図書の整理。
今回は比較的きれいでした。
分類番号が子供たちにもわかってきたかな、浸透してきたかな、と思いました。
午前中は子供たちも学級文庫の本を返しにきて、ちゃんと自分たちでその場所へ戻していきました。顔なじみになってきたか(?)、遠慮しないでいろんなことしゃべってくれるから楽しいです。(最初は図書室に私たちがいると、緊張したりしてね。こわくないのに…)
2001年3月14日(水) W杯チケット申し込み!
最終日になってばたばたと郵便局に駆け込み、申し込み用紙をもらって…なんて恥ずかしい。
―と思ってインターネットで申し込もうかとアクセスしたら、こっちはもっと無理、とんでもないことだった。
実は、よく読まずにいきなりボールペンで記入してしまったのだ。よく読んだら「HBの鉛筆」と書かれていた。
途中で気がついたので、開催地住民用は鉛筆で記入したのだが、一般むけはフイに。
夕方本局まで走り、恥を忍んで申し込み用紙をもらおうとしたら、あちこちでなにやら書き込んでいる人たちが…。
おお、あれはまさしくW杯チケット申し込み用紙!
私の前にならんでいたおにーさんも、「W杯のチケット申し込み用紙を1枚…」。
私もおおいばりで「W杯チケット申し込み用紙を!」。
私のあとに来たおばさんは「5枚。家族5人だから。」…1枚だけ当たればいいのだろうか。私はさささ…と記入してすぐにポストにいれたが、あのおばさんはきっと時間がかかったことだろう。
さあ、どうなることやら。当たりますように!
2001年3月13日(火) フランス料理と最後のお茶会
静岡の団地に住んでいたときの友だちが、実家のある浜松へ引っ越すことになった。
サキが生まれ育った団地で、赤ちゃんのときからなかよしで、家族ぐるみでつきあってきた4人のうちのひとり。
浜松へ引っ越す前に一度会うことになり、ひさびさに母親だけ4人集合。
西焼津駅の近くにあるフランス料理の店でランチ。初めて行ったけど、なかなか落ち着いた、いいお店だった。
いろんなことを、話しても話しても話したりない。
1泊旅行へ出掛けて、ずーっと話していてもまだ足りないだろうってくらい、話したいことが次から次へと出てくる。
浜松となるとそう簡単にはいけないから、これから4人でランチということもなかなかできなくなってしまうだろう。
静岡の中学生と焼津の中学生の違いもおもしろかった。(―この4人の中学2年生の女の子たちも、年に1回くらいしか会えないのに、お互いに会いたがっていて、会えばすぐにそれまでの会えなかった時間も埋まってしまうようだ。)
昼前に集合して結局夕方まで、6時間近く。名残惜しい時間があっという間に過ぎていってしまった。
さて、夜は中学の学年部最後のお茶会。
7時半の集合時間でも、仕事帰りの人もいたりして、3分の2くらいの人は食事。3分の1の人はデザートだけ。
仕事で来られない人、体調を崩した人、親戚に不幸があってこられなくなった人、数人をのぞいてみんな集まってくれて、感謝。子供さんの具合が悪い、と連絡くれたIさんも、途中から来てくれた。
いい学年部だったなーと思う。
協力的で、いい人たちで、私はずいぶん助けられたと思う。
せっかく仲良くなれたから、また集まりたいね。…と話して、おひらき。
私も最後にクッキーをもらったりして、なんだかいい余韻が残ったお茶会でした。
2001年3月12日(月) Jな季節のはじまり
実は3月8日、↓これを書いてる途中で胃が痛くなり、あれっ?と思ったらもうダメ。
胃炎は突然やってくる。
吐きそうに気持ち悪くて動けないので、ななみの絵の教室の送り迎えがあったのだけどパス。
ななみに父親の職場へ電話させ(「父がいつもお世話になっています。」と)、なるべく早く帰ってくるよう頼んだ。(普通ならこんな時、中学にもなった娘はごはんのしたくをするんだろうが…)
翌日、微熱があったがミーティングは休めない。無理していったらかえって迷惑、とは思ったけど日程がこのあと都合がつかないので、無理していくことにした。忘れ物はするわ、いい忘れたことはあるわ、…帰ってきたらやっぱ熱が上がってた。そのままダウン。
おかげでJリーグ開幕戦はTVでゆっくり観戦することができた。
もちろんスタジアムへ行きたいのはやまやまだったが、どっちみち元気でも行けない用事があった。しかしそれもパス。開き直って、ずーっとJリーグの中継を見てました。
2001年3月8日(木) ラティス
この前の日曜日、午前中は嵐だった。
その嵐で、デッキテラスにとりつけてあった目隠し用の”よしず”が、みごとにバラバラになってしまった。
もともとラティスをつけたかったのだが、義母がわざわざよしずを買ってきて、ていねいに2枚重ねにしてひもでしばりつけてくれたのである。
夏の暑い日だった。私も手伝ったけど、義母はくるくるとよく動き、ひもまで持参してつけてくれたのである。…ま、夏の間はこれでいいか。と思ったわけだが、もちろん夏が過ぎてもそのままだった。
そのよしずが、この前の風と雨で、とうとう…。
道路からまる見え。部屋からもむこうがまる見えで、やっぱ具合が悪い。
そこで今日、近くのホームセンターへ行って、念願のラティスを購入。90×180で1980円だった。それを3枚と、別売りのラティススタンド(2本組で980円)を3組。
配達は900円かかるが、無料でトラックを貸してくれるというので、借りて自分で運ぶことにした。
トラックまではお店の人が運んでくれたが、そのトラックを見てびっくり。軽かと思っていたけど、けっこうでかい。それに、ハンドルの横にギアがついている。もちろんオートマである。
…やだ、どーしよ。こんな大きなトラック、大丈夫かしらん。
私のライフはマニュアル車だし(いまどきねー)、ハンドルの横にギアがついているクルマなんて、運転したことない。 しかしもうラティスは荷台に乗っているし、ま、なんとかなるだろう。
なるべく広い道をはしり、バックしたのは我が家の前へ止める1回だけ。
無事にホームセンターへ戻ってこれた時はうれしかった。
急いでまた家へ帰り、ラティスを庭へ運んでテラスに取り付ける。ラティスにスタンドをネジで取り付け、買ってきた紐で柱にしばりつける。
―私にしては超早業で、目隠しのラティスは我が家のテラスにぴったりおさまった。いまどきのテラスになった。このラティスに合わせて、テラスのペンキを塗り直したくなった。(テラスは真っ白なので、夏はまぶしくてたまらないのだ)
なんとなくルンルン気分で、午後から小学校へ出かけたのだった。(おはなし会)
2001年3月6日(火) ピアノの調律、2年生最後の懇談会
1年に1回、この季節にピアノの調律をしてもらう。
ピアノの上も1年に一度の大掃除。いろんなものを、とりあえずここに…と思いながらついつい置いてしまうので、1年たつとわけがわからないくらい、いっぱいモノがのっている。
それらをすべておろし、カバーも取ると、真っ黒なピアノはぴかぴか光ってすっきりと存在感をあらわす。(いつもは「うもれてる」って印象なんですねえ)
このままの状態でおいてあげたいけど、またそのうちあれやこれや乗せてしまうんだな。
調律をしてくださるIさんも、すっきりとした人で、毎年いろんな話をするのだが、今日も「子供にいろんなことを望んじゃいかんですね!」なんておっしゃって、みょーに納得したのだった。
「あーしろ、こーしろ」なんて言って怒るのは、子供にいろんなことを望んでいる証拠。
午後はこうへいの授業参観と懇談会。
最後なのでひとりずつ、この1年間でみられた成長のことなどを話す。
Yさんが「最後くらいほめてあげようと思って…」と話しはじめたので、私もなにかほめてあげようと思い、「九九」の話をした。
珍しく「九九」はがんばった。12月ごろ、ななみやサキと対抗して、時間を計って「九九」を言っていた。こうへいが勝てるわけないと思うのだけど、負けるとくやしいってのをむき出しにして、「もう一回!」と言い始め、懲りずに時間を計るのだ。1分くらいで言えるようになり、姉たちともそんなに差がつかないくらいにまでなった。
年が明けて、「九九免許証」というのを担任のM先生からいただいたが、「男ではいちばんだった!」と満足そうだった。―そういえば、ピアノ教室のクリスマスコンサートの時、自己紹介のなかで「さんすうが好きです。」と言うのでびっくりしたっけ。その頃「九九」を覚えて楽しくなっていたのかもしれない。このまま算数が好きになってくれるといいなあ。
2001年3月3日(土) 桃の節句
昨日は月1回のミーティング。
風邪で休んでいるこうへいをひとり残して静岡へ。食欲がまだないものの、熱は下がっていたので、本やらお菓子やら、ふとんのそばにたくさん置いて、NHK教育をつけっぱなしにして出かけた。
ミーティングが終わるととんぼがえり。(あー、久々にランチを楽しみにしてたのになー。)
今日はひな祭り。
なんと、おひなさまを出したのは昨夜だった。
しかも段々を置くスペースがなく(畳1畳くらいなのだが…今まではいったいどこへ?)、チェストの上へならべた。
狭いけどがまんしてねー。でも1年ぶりに外の空気を吸って、おひなさまたちもほっとしていることだろう。
―焼津は雛まつりが4月なのだ。
10年前に引っ越してきて、初めて知った。ひな祭りの頃にスーパーがあまり盛り上がってないので、何故だ?と不思議に思ったら、そういうことだった。
そうはいっても、やはりひな祭りは3月3日である。昔は3日が過ぎるとなんとなくすぐにしまったものだが、4月にまたひな祭りと思うと、そんなに急いでしまわなくても…と思ってしまう。だいたい、前日になってあわてて出すこと自体、そういう気のゆるみから来ているのだ。(娘たちが行き遅れたら困るということなど、全然思わないし)
さあ、今夜は手巻きずしにしようかな。(娘たちが小さかった頃は、ちらしずしを三角に握り、うずら卵をのせて頭にし、うすやき卵をきものにして作ったものだが。はまぐりのお吸い物に菜の花のおひたし。…とお決まりのメニューだね。)
シフォンケーキをまたつくろうかなあ。
2001年3月1日(木)
もう春だねえ。…しかし。
―今日は高校の卒業式だが、こんな雨では体育館も寒いだろう。
昨日のななみの授業参観は体育館で整形外科のお医者さんの話を聞くものだったが(骨について)、やはり雨で底冷えがし、がたがたふるえるくらい寒かった。うっかり寝たら冬眠してしまいそうだった。ストーブを用意してくれてあったんだということが、授業が終わってからわかった。
今日は静岡へ行って「語り」を聞く予定(『学校図書館を考える会・静岡』の催し)だったのだが、こうへいが熱を出し、行けなくなってしまった。
こうへいは小学校にあがってからというもの、一度も欠席の日がなかったのに、とうとう…。
皆勤賞がなくなってしまって残念である。(―そんなものは学校からはもらえないが)
幼稚園の時は喘息でしょっちゅう休んでいたので、一日も休んでないというのはこうへいにとって驚異的な記録だったのだ。(相変わらず喘息の発作は出るが、朝はけろっとしているので、なんとか休まずにきたのだ)
うーん、残念だ。