すいーとぽてと!…日々のつぶやき

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夏休み最後の日、ななみがつくったゴーヤーマン。
午前中、手芸の店で材料のフェルトなどを買い、型紙は私が適当に作った。
夕方には二人とも疲れはてて昼寝をしてしまった。



2001年9月30日(日)  なんだか忙しかった9月

 今日は実家の父の誕生日だった。毎年父の誕生日を祝って私と弟の家族、そして父と母、総勢12人で温泉へ行く(連れていってもらう)ことにしていたのだが、今年は母が入院していたり、父も先日の寒さで風邪を引いてしまったりで、それができなかった。
 じゃあ近くで食事をしようかという話にもなったのだが、外食すらも無理のようなので、今日、午後から私がななみとこうへいを連れて浜北へ行ってきた。(サキは塾があるのでパス)
 お寿司を食べ、ケーキにろうそくを立てて(大きなろうそく7本と小さいの6本。父は76歳になったのだ)「ハッピバースデーツーユー♪」をみんなで歌って祝った。酸素吸入機が手離せない父ではあるが、いつまでも元気でいてほしい。

 浜北へ行く時はいつも東名高速道路を走っていく。今日は空いていて、行きは時速110〜120kmで走っていった。まわりがみんなそんな速さだったので、気がつくとそれくらい出ていたのだ。
 しかし帰りは雨が少したくさん降っていたので、80kmの制限時速を守ってきた。これくらいだと眠くなってしまう。眠気をおさえるには歌を歌うのがいちばん。(行きは子どもたちもうれしくてはしゃいでいるからいいけど、帰りはすぐに眠っちゃうから、静かなのよね)
 なにしろ軽なので坂道ではパワーが出なくて、子どもが乗ってると登坂車線を走る羽目になったりして情けない。

ゴーヤーマンとも今日でお別れ〜
 
「ちゅらさん」も昨日で終わってしまいましたね。
 最後はなんだかストーリーはしょりまくりでおもしろくなかったし(いつものパターンか)、あのふたりが結婚したあたりから現実味がますますなくなってきて、私はいつも文句言いながら見ていた。こどもたちが「お母さん、そう言いながらいつも見てるじゃん。ビデオまでとったりしてさぁ。」などと言う。ビデオなんかとってないぞ!…と言ったが、――とってた。用事があって朝早く出ないといけない日。
 しかし、何かと話題になったドラマでしたね。(私はこれまでの中で『私の青空』がいちばん好きさぁ)


2001年9月22日(土)  突然晩秋に…

 なんて寒かったんだろう〜…。
 今日は小学校の運動会。さ、さむかった〜〜。七分そでのTシャツでは寒く、その上にコーデュロイの長袖シャツ。それでも寒かった。ウインドブレーカーが欲しかった。
 毎年、運動会であらためて子どもたちは真っ黒になってしまうし、私たちも日陰にシートを敷くのだが、今日ばかりは日なたにすわってお弁当を食べた。飲み物もあったかいのが欲しかった。寒いとなんだか眠くなってしまう。(冬眠したくなる?)

 さて、こうへいは赤組、ななみは白組。いつもきょうだいで違う色なので、毎年悩む。どっちがどっちの色だったかもわからなくなったり。
 赤組が優勝したが、6年生の学年競技、「30人31脚」はクラス対抗で、6年生3クラスがタイムを競うものだった。ななみのクラスがなんと優勝!
 毎日毎日、今日はうまく走れた、だんだん速くなった、とななみはこの30人31脚がなにより気に入って力を入れていたので、優勝できてほんとによかった。白組が負けたのもたいして気にならないようだ。

 こうへいは3年生の全員リレーで、一人抜かした。よかったよかった。
 私は走るのも遅かったし、リレーの選手になったことはない。だから「全員リレー」っていいと思うな。
 運動会も少しずつ変わってきている。余分なものはそぎ落として、シンプルに、全員が出場する。少し前は自分たちで出たいものを選んで出るって感じだった。だから、徒競走が嫌いな子は走らなくていい、というように。私はこれが納得いかなかった。でも去年あたりから全員走るようになったのかな。(しかし6年生の150m走はいくらなんでも距離が長すぎない?)

 
 ところで昨日は久々に1日予定のない日だったので、東京の伯母を見舞いに行こうとJRの駅へ向かった。駅前の駐車場に車を止めて駅へ向かうと、あれ? なんか人がいっぱい。高校生や通勤風の人たちがぞろぞろ、階段を降りてくる。へんだなーと思いながら降りてくる人たちの間を縫うように階段を上っていったら、窓口に貼り紙が。
 静岡と焼津の中間、用宗で倒木があり、電線が切れて電車が不通になっているというのだ。ゲゲ!静岡へは行けない。

 バスにしても車にしても、乗るつもりの新幹線にはもう間に合わない。――朝起きたときに珍しく頭痛がしたので、行こうかどうしようか迷ったのがいけなかったのかも。…なんて考えたのだが、頭痛がしたというのもJRが不通になっているというのも、もしかしたら今日は行くなということかもしれないと思い直し、結局東京行きはやめてしまった。
 …やめてよかったとあとで思った。こうへいが1時半頃にはもう下校してきたのだ。私はこうへいの帰りが3時すぎだと思っていたので、夕方帰ってくるようにすればいいと考えていた。やはり、行くなということだったのだ…と勝手に納得したのだった。


2001年9月19日(水)  厳しい残暑

 なんて暑かったんだろう〜…。
 仕事で走り回り、こんな時期にまた日に焼けてしまった。夜になって湿疹が…。
 日焼け止めで湿疹ができて以来、この夏は日焼け止めを使わなかった。仕方ないので帽子と日傘で過ごした。それでもやっぱり日に焼けてしまうよね。夏休みの終わりごろこうへいのサッカーの練習試合があり、炎天下のもと日傘をさしていても腕はまっくろに。その晩、湿疹ができてかゆくてかゆくて…!昨日もそれと同じ。

 渡辺一枝さんのエッセイの中で、一枝さんが湿疹に悩まされた時期があったという文章を読んだのが、ちょうど最初に日焼けで湿疹ができた頃だった。年齢といい、症状といい、なんだか似てる…。一枝さんの場合は料理をしていてもその熱気で湿疹ができてしまうというひどいもので、そこまではいかないけど、やはり年齢を重ねていくうちに体質が変わったってことかなぁ。(健康診断を受けろ、と夫がいつも口うるさく言う。…ありがたいんだけど、面倒くさくて。毎年市から送られてくるはがきも無視してる。いけませんね。誰だっけ、夫婦で毎年人間ドックへ行くって言ってたのは?)

 話は全然変わって、昨日の晩、牛乳を買いにスーパーへ行った。ベーカリーがはいっているスーパーで、8時頃行くといつもパンが安くなっているからその時間帯に行ったりするのだが、昨夜はもう9時だったので店じまいしてるだろうなと思ったら、なんとまだ開いていて、パン詰め放題セールをやっていた。
 大きめのビニール袋に好きなだけ詰めて、500円。やった!どんどん詰めちゃった。15個くらいかな?袋の口が閉まらないくらい。1個120円〜140円くらいするパンばかりだからねー。売れ残ったサンドイッチも2個おまけしてくれて、超お買い得!といい気分で牛乳買って帰りました。(私は牛乳が飲めないのだけど、こうへいが牛乳なしでは生きていけないくらい、牛乳大好きなの)



2001年9月16日(日)  サキ中学最後の運動会
 焼津の新しい踊り『港群舞』のラスト。初めて見たわぁ。

 中学の3年間はなんて短いのだろう。…とあらためて思うのだ。
 サキが中学生になって今日が3回目の、そして中学最後の運動会。
 1年生の時はまだみんな体格も華奢でかわいいのに、2年もたつと男の子はたくましく、女の子はどっしり(?)…。

 天気はよすぎるくらいでしかも暑く、あらためて日に焼けてしまった人が多いだろう。私は開会式の時から役員席のテントの下で見ていたので、日焼けはしなかったし、目いっぱい応援したりして楽しんでしまった。生徒が麦茶をサービスしてくれる(ありがとう)。

 開会式の、実行委員長(3年生)の挨拶でまず泣けた。落ちついた、上手な挨拶だった。(閉会式にも3位までのチームと応援がよかったチーム、スローガンを作った子などを表彰して彼が賞状を手渡すのだが、「感動した!」と小泉首相をまねたりしてウケてた)

 そして、競技も生徒たちの手で準備が進められ、先生たちはそれをサポートしているといったふうに見えた。
 日曜日なので見に来ている人たちも多い。テントの下は敬老席となっていて、おじいちゃんやおばあちゃんもたくさん見えている。来賓やその席にすわっている人たちに、生徒がかいがいしく麦茶を配る。見ていて気分よかったし、全体的に気持ちのいい運動会だった。

 競技の数は少なく、シンプルなものだ。学年別の競技や色別対抗(例えば赤は35HRと26HRと12HR、というふうに6つのチームに分けられている)の競技、そして学年別の全員リレー。やっぱりリレーが一番盛り上がる。お母さんたちの迫力ある声援もスゴイ。
 学年別リレーはクラス対抗で、サキのクラスは3位だった。サキは早いうちに走って3位をキープ。男の子は速くて見ごたえがあり、1周走ってほしいなと思う。

 家に帰って、「○○くん、速かったね〜」とか、「リレーは3位でよかったね」などといろいろ話していたのだが、サキが「クラスの女子みんなで泣いちゃった」と話し始めた。
 3年の学年種目は女子と男子で別れてムカデ競争のようなもので、最初に女子チームが走り、男子チームにバトンタッチする。距離は短いのであっという間に終わってしまうのだけど、これを2回繰り返す。
 サキのクラスは練習の時はいつも速かったのだそうだ。ところが2回目の時に女子の足を結んでいたさらしのひもが切れてしまい、途中でころんでしまった。立ち上がってもひもが切れているのでうまく進めない。そうこうしているうちに、結局最後になってしまったのだ。
 みんな泣き出してしまったのだが、男子たちが「俺らががんばって速く走るから、ガンバレ!」と声をかけてくれたというのだ。もうビリってわかっているのに…。「練習の時は男子が遅いと私たちは『なにやってんのー!』って言ってたのに、本番であんなふうになっちゃって、それでも男子たちは『俺らが巻き返すから!』って言ってくれた」――それで、みんなまた泣いちゃった、って。私もこれを聞いてじ〜ん…。

 ケータイのことで頭にきたり、服装のことが気になったり、いろいろ心配の絶えない中学生ではあるが、今日のこの運動会を見た限りでは、暖かく見守っていればいいか。…とだけ思うのだった。


2001年9月14日(金)  病院と仲良し

 毎月こうへいの喘息の薬をもらいに小児科へ通う、そのほかにも、病院へ行くことはほんとに多い。
 おとといも、夕方サッカーの練習からこうへいが帰ってきた…と思ったらコーチが付き添って来てくれて、友だちと砂をかけあっているうちに目にはいってしまったという。一応水道で洗ったのだが、まだ砂が残っているかもしれない。――こうへいの目を見るとまっか。
 「なんでそんなことするのかなぁ。」幼稚園児じゃあるまいし。…目は心配なので、すぐに医者へ連れて行った。夜7時まで診察しているところがあるのだ。

 駅北にあるその眼医者さんは、言葉遣いがバカ丁寧なので有名。お父さんは内科、お姉さんは耳鼻科というお医者さん一家(それぞれに開業している。お姉さんはものすごく乱暴で有名。私も一度行ったことがあるけど、いきなり怒られてびっくりした。お父さんも優しい先生だし、弟さんはばか丁寧だし、何故あのお姉さん先生は…?と不思議だ)。
 初めて行ったこうへいはびっくりしていた。
 「お母さん、あのお医者さんとこ、すごいね。」
 「なにが?」
 「上品な言葉を使ってたよ。」

 …なにしろ、「こうへいさま、そちらへおかけになってお待ちくださいませ。」だ。
 「お足元にお気をつけくださいませ。」
 先生も、目薬をさすときに「上をご覧ください。」
 こうへいに、だよ。「ちょっと上を向いて。」だよねー、ふつう。子どもに対しても大人扱いなので、もしかしたら子どもはうれしく感じるかも?
 とにかくここの言葉遣いは徹底している。
 帰りも受付のお姉さんが目薬の説明を丁寧にして、「本日の料金でございますが…」 そして、「お大事になさってくださいませ。」すると奥にいる看護婦さんも「お大事になさってくださいませ。」ふわぁ〜。(家へ帰ってくるといつもまねをして笑い転げる)

 そして今日は実家の母の見舞い。
 正月明けから、入退院を繰り返している。うちからバイパスを走って1時間ほどのところにある病院だ。1週間に一度は行くことにしている。土日は外泊で家へ戻るので、平日に様子を見に行くのだ。
 行くといろんな話が出るが、まあ、気が紛れるだけいいかなと思って。年々、病院にお世話になることが増えてくる。


2001年9月13日(木)
  恐ろしい現実

 9月ももう半ば。なんでこんなに早いのだろう。は?と気づけば2日、3日などすぐに過ぎ去っていく。

 ニューヨークで世にも恐ろしいテロ行為。あの、飛行機が高層ビルにぶつかっていく瞬間の映像なんて、映画の世界か?と最初は現実のこととは思えなかった。「なに、なにこれは?」…それがニューヨークで起こったこととわかっても、しばらくとお〜い世界を眺めていて実際のことと理解するのに時間がかかったような気がする。静岡新聞社がそこにはいっていたとわかって、急に身近なものという認識が…。
 あの短い時間の中で、90階から非常階段を降りてきて助かったという人が出ていたが、よくぞ無事だったと思うのだ。しかし、何千人もの人がいまだに行方不明という。助かった人たちも、胸がつぶれる思いでしょうね。
 このテロ攻撃が成功した、と喜んでいる人たちの姿も映し出されていた。信じられない。信じられない世界がいっぱいある。



2001年9月7日(金)  こうへい9歳のBirthday♪♪


 朝学校へ出かけたときはまだ8歳だったこうへいが、「お母さん、9歳になったよ。」と言って帰ってきた。
 「こうちゃんはねぇ、午前10時45分に生まれたんだよ。」と言ってあったからだ。
 それからは、「9歳になって初めて食べたごはん。」「9歳になって初めて飲んだ薬。」…9歳になって初めて寝る夜。
 お父さんが今夜は帰りが遅いので、誕生日のお祝いはあした。(
「こうちゃんのお誕生日に寄せて」UP)

 ところで今日は仕事のミーティングがあったのだが、時間が足りなくて30分オーバー。それでも駆け足で、もうバッタバタ。はぁ〜疲れた。
 レジュメも、あれを見てこれを見て、また戻ってこれを見て…みんな混乱しただろうね。どうやったらすっきりできるのか。準備を完璧にするということだが、なかなか…。(お願いだからたった2時間しかないのにどう考えても3時間必要みたいなレジュメ、つくらないでぇって言いたくなる)新人さんが参加したのだが、頭にはいっただろうか?

 行事が盛りだくさんの2学期である。小学生も中学生も忙しい。次から次へとた〜くさん。親もそれに関わっていくからみんな忙しいね。
 9月にはいってほっとしたのも、ほんとにつかの間だった。いつも学期始めの1週間は長く感じるのだけど、今回はあっという間に1週間が過ぎていった。例年、夏休みボケというか、五月病というか、なんとなくやる気なくなって何もかもから逃げ出したくなっちゃうのだけど(私がね)、今年はそんなこと考えてるヒマもなかった。ま、よかった。


2001年9月5日(水)  バズハウスついに閉店
  
 ショック。
 今、バズハウスのおじさんが今月のブッククラブの配達に来てくれたのだけど、「今月でお店を閉めることにした」とおっしゃるではないか!
 「えーーー!!」
 どこへ行っちゃうんですか?!…まだはっきりと決まったわけではないけど、東へ進出するらしい。もう心はすっかりそちらへ向かっているらしい。
 焼津は、藤枝はどうなっちゃうの? バズハウスが情報の発信源といっても過言ではないくらいだったのに。私にとってはね。
 新沢さんのコンサートもこれからはめったに行けなくなっちゃうのかしら? それよりなにより、スズキコージさんの絵がいっぱいに描かれた車でもう配達してくれなくなっちゃうなんて、ハイテンションなおじさんに会えなくなるなんて、さびしすぎる。見捨てられたという気さえしてくる。(うらみではないよ) バズハウスがあるから焼津に住むのもま、いいかと思ったこともあるくらいなのに。
 子どもたちもがっかりするだろうなぁ。あぁ、これからあのお店へも行けなくなるんだなぁ。なんてさびしい。ぽっかりと心のどこかにに穴があいてしまうようだ。

 しかし、バズハウスのおじさんの新しい門出も心からお祝いしたいという気分。「おじさん」なんて失礼だね、私よりそんなに年が上というわけでもないのだ、でもその年で新しいところへ行って新しい生活を始める、それができるというのがうらやましい。
 またHPでいろんなこと発信されるのを待ってるからねー。奥さんともども、お元気でねー。 


2001年9月1日(土)  防災訓練?

 久々の学校。
 めずらしく、3人の子どもたちは起こさないのにそれぞれに起きてきて支度を始めた。
 ななみはソックスをはくのが久しぶりだ〜と喜んでいる。こうへいも、前の晩からちゃんと提出物をカバンの中にいれて準備してあり、それをまた出して確かめている。そして、7時半すぎに待ちかねたように家を出て行った。
 ほっ。…学校へ行くのがおっくうになっていたりしたら?とほんの少し心配していたのだ。3人とも元気に登校したのでまずは一安心。一気に日常の生活が戻ってきた。

 ところで今日は全国的に防災訓練が行われたようだが、小・中学校も今日は防災訓練、そのあと保護者が教室まで迎えに行くことになっていた。
 11時20分まで、と書かれていたのでのんびりしていたら、11時にもならないうちから子どもの声が聞こえる。うちは小学校のすぐそばなので、うちの前を子どもたちが通るのだけど、玄関の窓をのぞいたら、もう親子で帰る人たちの姿が。
 ありゃりゃ!…たいへん、教室で迎えに来るのを待ってる!
 あわてて小学校へ走っていった。すでに下校の親子連れでいっぱい。みなさん、お迎えが早いのねー。教室へ行ったら、残っていた子は3分の1くらいか。私の姿を見たこうへいは、私より先に教室を飛び出し、ななみを迎えに行っている間にどこかへ消えてしまった。(なんて落ち着きのない…)

 この防災訓練だが、小学校で教室からどこかへ避難する訓練をしたのかと思ったら、ただ親が迎えにくるのを待っていただけ、というのだ。
 …いったい何の意味があるのだろう?
 実際に災害が起こった場合、教室で何もしないで待ってるのか? 親だって、何事もなく迎えにいける状態とは思えない。
 避難訓練ってこんなんでいいの?