ハインケル
 ドイツの航空機メーカ。主に爆撃機を開発・生産していた。優秀な戦闘機も多数開発していたが、軍の理解を得られずほとんど採用されなかった。
 もっとも、硅緑内戦の資料で単に「ハインケル」とだけ書かれている場合は、He100G−0の事を示している場合が多い。
[参照]He100G−0He100G−1He114A−2He115A−1Ta01

バウメルン
 19世紀末に竣工したケルンテン公国海軍の鉄甲艦。30年代に入って機関をディーゼルに換装した。主に輸送艦として運用されていたが、水中用装甲戦闘猟兵配備後はその母艦として運用された。
[参照]ケルンテン公国海軍

爆撃航空団
 主に爆撃機や攻撃機によって構成され、爆撃・地上攻撃などを主な任務とする航空部隊。グリューネラント国民空軍は当初、全ての航空団を戦闘航空団としていたが、内戦後期に第4戦闘航空団が第4爆撃航空団に改称された。
[参照]グリューネラント国民空軍第4戦闘航空団

バベッテ
 Gu−208Bの通称。
[参照]Gu−208B

パンテル軍団
 ドイツから派遣された義勇部隊。連隊規模であったが、最新の装備が優先配備されていたためケルンテングリューネラント両軍の師団に匹敵する戦闘力があった。また、空挺イェーガーや超重戦車など新兵器の実験も行われていた。グリューネラント降伏後はSS−VTに編入された。後に規模が拡大されSS師団「ダス・ライヒ」となった。
[参照]グリューネラント国民軍ドイツ

ビア樽
 III号装甲戦闘猟兵に対するケルンテン側の蔑称。
[参照]III号装甲戦闘猟兵シュツルム

東トーテンコプフ島
 マインファルケン沖に浮かぶ島。通称「空賊島」。その通称の通り空賊の拠点であった。1938年5月31日の空襲によって壊滅状態にあい、1938年7月10日にはイタリア海軍に制圧された。
[参照]空賊西トーテンコプフ島

ピストルポート
 戦車などの車内から外に拳銃を発射するための穴。歩兵の肉薄攻撃対策として取り付けられていたが、まず命中することが無かったため次第に装備する戦車は少なくなっていった。

ヒューゴ・ボルチャルト
 ドイツ系アメリカ人の拳銃設計技師。世界で初めて自動拳銃を開発した。
[参照]P08ゲオルグ・ルガー

ファシスト党
 ファシズムを政治理念とするイタリアの政党。ベニート・ムッソリーニによって1919年に結成された。1922年の政権獲得後は他政党を非合法化する事によって独裁政党となった。
[参照]ファシズムベニート・ムッソリーニ

ファシズム
 由来はイタリアファシスト党に由来する、欧州大戦後に現れた全体主義・排他的政治理念もしくはその政治体制。一党独裁による専制・国粋主義であり、体制を確立・保持するために苛烈な弾圧を伴う。
[参照]国家社会主義ファシスト党

ファルケ
 Se32の通称。
[参照]Se32

フェオドラ
 Gu−208Fの通称。
[参照]Gu−208F新ジャガ

フィリブス・ウニティス
 海賊ゼーアドラーが使用していた高速戦闘艇。船体や機関に関しての詳細は不明であるが、武装に関しては5.7cm砲2門と2cm機関砲2門、さらにそれらと連動した赤外線式暗視装置が搭載されるなど、非常に強力であった。ゼーアドラー自身がグリューネラント国民海軍に尉官待遇で迎えられていたため、フィリブス・ウニティスもグリューネラント国民海軍の作戦に参加する事もあり、水中用装甲戦闘猟兵の輸送を行った事もあった。
[参照]グリューネラント国民海軍

ブラウエンタール騎兵旅団
 ケルンテンの騎兵旅団グリューネラント地方への示威のためチェリンク州に駐留していたが、グリューネラントによって武装解除されてしまった。
[参照]騎兵旅団硅緑内戦

ブラウフリューゲル管区航空隊
 ケルンテン公国陸軍の航空隊。ブラウフリューゲル州に拠点を置き、南部域の防空を担当していた。また、海上防空は海軍航空隊の管轄であったが、海軍航空隊は実質的に機能していなかったため、ブラウフリューゲル管区航空隊から機体および乗員を海軍航空隊に派遣した事もあった。
[参照]公国海軍航空隊隊ケルンテン公国陸軍航空隊

ブラウフリューゲル師団
 ケルンテン軍の歩兵師団。ブラウフリューゲル州に駐屯していた。
[参照]歩兵師団

フランス
 欧州随一の農業国。いわゆる列強の一国で国際政治面で大きな発言力を持っていた。ケルンテンとは友好関係にあった。軍事的には陸軍大国として知られ、ケルンテン陸軍はフランス式の編成を採っていた。でも陸軍大国って言う割には、ナポレオン以降単独で対外戦争に勝ったことが無い様な……
[参照]ケルンテン公国

フリーデン
 ドナウ川を警備していた河川砲艦。元々はケルンテン公国海軍に所属していたが、グリューネラント国民軍によって接収された。1938年6月15日より行われた講和会議の会場として使用された。
[参照]グリューネラント国民軍ケルンテン公国海軍ドナウ講和会議

ブリクシア国軍
 ブリクシア州の独立宣言を受けて発足したブリクシアの防衛軍。ケルンテン公国陸軍のブリクシア師団を中核として民兵(ブリクシア解放戦線)を取り込んだものであった。
[参照]ブリクシア師団

ブリクシア師団
 ケルンテン軍の歩兵師団。ブリクシア州に駐屯していた。1938年9月23日には師団長がブリクシア州の分離独立を宣言し、師団はブリクシア国軍となった。
[参照]歩兵師団

ブルーメ級
 ケルンテン公国海軍の護衛艦。大型漁船を改造したため速力は低いが、多彩な兵装を搭載していた。各艦に花の名前がつけられていたため、ブルーメ(花)級と呼ばれていた。
[参照]アルラウネイーリスムメルモルゲンロート

ヘッケル
 1901に創立された、鉱工業・兵器産業を中心としたケルンテン最大の企業。多数の系列会社を擁していた。多額の使途不明金が発覚した事により社内で分裂が起こり、新進の軍需企業に吸収されてしまった。
[参照]ヴァルデガルト自動車工業

ベニート・ムッソリーニ
 イタリアの政治家にして硅緑内戦当時のイタリア元首。欧州大戦直後からファシズム運動を開始し、1919年にファシスト党を結成した。
[参照]イタリアファシスト党ファシズム

ベハーゲン
 ケルンテン公国海軍の前ド級戦艦。1905年竣工。元はイギリス海軍の戦艦であったが、ケルンテン公国が連合国側として欧州大戦に参加した事から貸与された。戦後になって正式譲渡された。基本的に岸壁に繋留されたまま、海軍総司令部、兵員宿舎、海軍博物館として利用されていた。1938年8月、マインファルケン近海に展開したイタリア艦隊への対抗として出航したが、その直後にドイツ海軍アドリア部隊の雷撃によって沈没した。
[参照]ケルンテン公国海軍ベハーゲン海軍基地

ベハーゲン海軍基地
 マインファルケン湾内に存在するケルンテン公国海軍の根拠地。海軍総司令部が戦艦ベハーゲン艦内に置かれていたため、このような名称となった。
[参照]ケルンテン公国海軍ベハーゲン海軍基地

ペリスコープ
 潜望鏡。鏡やプリズムをつかって間接的に外部を視察する装置。直接に外部を視察する装置よりも、被弾時に内部まで損害が及ぶ事が少ないという利点がある。反面、故障した場合等には視界を失ってしまうという欠点もある。
[参照]展視孔

ベルガモ師団
 イタリア陸軍の歩兵師団。ケルンテン侵攻に参加し、ロムラン占領の後はカルテナー峠の制圧を行った。なお、イタリア陸軍師団としては珍しく、実際に黒シャツ連隊が配備された増強歩兵師団であった。
[参照]イタリア

ヘルツォークトゥン騎兵旅団
 硅緑内戦の緒戦で壊滅した騎兵旅団。騎兵として再編成が行われていたが、装甲戦闘猟兵旅団設立計画が持ち上がり機兵旅団として内戦末期に再編成された。日本語で「ヘルツォークトゥン」とは「公爵領」と言う意味。
[参照]騎兵旅団機兵旅団硅緑内戦装甲戦闘猟兵

ヘンシェル
 ドイツの自動車メーカ。わずかながら攻撃機の開発・生産も行っていた。
[参照]Hs123A−1

ボック
 Ze−514Bの通称。
[参照]Ze−514B

防水型エカテリーナ
 Gu−208Eエカテリーナを改造した水陸両用装甲戦闘猟兵。性能は不十分であったが、ケルンテン公国海軍にとってほぼ唯一の水中活動機であったため、10機弱が製造され活躍した。
[参照]Gu−208Eケルンテン公国海軍水中用装甲戦闘猟兵装甲戦闘猟兵ロルフ・マルヒ

ボヴァ縫製
 エステンド州にある縫製会社。ケルンテン軍に軍服や天幕を納品していた。

歩兵師団
 歩兵を中心とした大規模な戦闘集団。実質的な陸軍の主戦力。ケルンテンでは2個旅団(4個連隊)で編成され、グリューネラントでは3個連隊で構成されていた。ケルンテンでは主にその名を冠する州の出身者で構成され、物資などの調達も州を基盤としていた。

歩兵戦車
 歩兵の随伴して火力支援を行うための戦車。一般的に近距離での撃ち合いを想定して装甲が重視されていたが、歩兵の移動速度に随伴できれば良いため速力はあまり重視さていなかった。
[参照]騎兵戦車

ボルトハール
 ラヴァンタール市内にある精密機器会社。銃器の部品生産などを行っていた。