カイゼリン・ニャウクター
 ケルンテン公国海軍の特設巡洋艦。客船カイゼンリン・ニャウクターを改造して建造された。1938年4月30日の西トーテンコプフ島襲撃で海岸に乗り上げた後に破壊された。
[参照]ケルンテン公国海軍

海賊島
 西トーテンコプフ島の通称。

ガツェル
 SdKfz231およびSdKfz232の通称。

『亀』
 ドイツが密かに開発し、パンテル軍団にて試験運用を行っていた、重量180トンの超重戦車。武装は砲塔に128mm砲と75mm砲が同軸搭載されていた。発動機として航空機用V12エンジンが搭載されていた。1937年11月の実戦試験でギアの破損が発生したため、電動モーターを利用した無段変速方式に改められた。
[参照]パンテル軍団『亀II』『亀II改』

『亀II』
 撃破された『亀』を回収し、再生した装甲車輌。無武装の輸送車輌であった。
[参照]パンテル軍団『亀』『亀II改』

『亀II改』
 『亀II』に砲塔を追加し、再武装された装甲車輌。拠点防衛および移動指揮所として運用するため装甲の強化も行われていた。しかし改装中に第1師団の攻撃を受けオーストリアへ撤退する事となったため、沼地にて投棄された。
[参照]パンテル軍団『亀』『亀II』

カルニケ騎兵旅団
 騎兵旅団硅緑内戦の緒戦で全滅しそのまま解散された。
[参照]騎兵旅団硅緑内戦

棺桶
 IV号装甲戦闘猟兵A型(orB型)に対するケルンテン側の蔑称。
[参照]IV号装甲戦闘猟兵A型IV号装甲戦闘猟兵B型ヴィントシュティレ

カール・ゴットリープ・ヴィンケルマン
 十三博士の筆頭。アルトリンゲン工科大学客員教授であったが、内戦勃発後はヴァルデガルト工科大学へ客員教授待遇で避難していた。ハイデンポント分校爆撃の際に行方不明となったが、硅独戦争後に発見されドイツの捕虜となった。
[参照]十三博士装甲戦闘猟兵

キージンガー
 ケルンテン公国海軍の河川砲艦。沈没したシュマックハフトの代艦として建造された。艦名は沈没当時のシュマックハフト艦長からとられた。
[参照]ケルンテン公国海軍

機動砲艇
 →R−38型機動砲艇

北ゴートイェーク師団
 ケルンテン軍の警備師団。北ゴートイェーク州に駐屯していた。当初の装備は2線級ものばかりであったが、ドイツからの軍事支援によって第3師団として再編成された。
[参照]第3師団ドイツ警備師団

騎兵戦車
 軍事的な価値の無くなった馬の代わりに騎兵隊に配備された戦車。一般的に機動力が重視され、そのため火力と装甲が犠牲になる事が多かった。
[参照]歩兵戦車

騎兵旅団
 ケルンテン陸軍に編成された騎兵を主力とした快速部隊。有事の際の緊急展開や機動力を活かしての遊撃を主な任務とした。ケルンテンは3個の騎兵旅団を有していた。さすがに30年代に入ると騎兵では戦力不足であると認識され、戦車と装甲車で構成された機械化部隊へ段階的に改編する事が決定された。が、その改編が完了する前に内戦が勃発してしまい、数日の内に壊滅してしまった。
[参照]硅緑内戦

機兵旅団
 装甲戦闘猟兵を中心に構成された機械化旅団。内戦末期にケルンテンで編制された。
[参照]装甲戦闘猟兵ヘルツォークトゥン

ギュルテンシュタイン師団
 ケルンテン軍の歩兵師団。ギュルテンシュタイン州に駐屯していた。師団本部のあったギュルテンシュタイン州は山岳地帯であるため、他の師団よりも山岳師団としての性格が強かった。
[参照]歩兵師団

ギュルテンシュタイン管区航空隊
 ケルンテン公国陸軍の航空隊。ギュルテンシュタイン州に拠点を置き、西部域の防空を担当していた。
[参照]ケルンテン公国陸軍航空隊

空賊
 飛行艇や水上機を利用していた特殊な海賊。西トーテンコプフ島を拠点としてアドリア海全般で海賊行為を行っていた。
[参照]西トーテンコプフ島

空賊島
 東トーテンコプフ島の通称。

グスタフ・バウアー
 十三博士の一人。王立兵器工廠にて軽量級装甲戦闘猟兵の開発を行っていた。彼の開発した機体の型式番号には「Ba」が付き、名称には型式番号の末尾を頭文字とした家具の名称が付けられていた。
[参照]十三博士, Ba−0003Ba−0003S王立兵器工廠シュピーゲル装甲戦闘猟兵

グライフ
 S&M1の通称。
[参照]S&M1

グリューネラント共和国
 1937年のドイツの援助を受けて勃発した武装蜂起で建国されたグリューネラント地方の国家。ただし、当時グリューネラントを国家として承認していたのはドイツソビエト連邦の2カ国のみであった。クリステル侯爵婦人を首班とし、強力な権限を持った臨時政府による独裁的な政治態勢が採られていた。議員選挙、憲法制定を経て国家としての態勢づくりを進めていたが、外交での失策や軍部の暴走などが原因でドイツの不興をかい最後通牒を突きつけられた。グリューネラント政府はこれを受け入れ、ジルヴァ州と北ゴートイェーク州はドイツの保護領とされた。
[参照]グリューネラント地方硅緑内戦ケルンテン公国ソビエト連邦ドイツ

グリューネラント国民海軍
 グリューネラント共和国は内陸国であるため、本来は海軍を保持する必要性が無かったが、マインファルケンを有した時を想定して、ドイツのキールでグリューネラント国民海軍の編成および教育が行われていた。グリューネラント国民海軍では巡洋艦を主力とする水上艦隊、潜水艦隊、航空隊、陸戦隊で構成される予定であったが、うち潜水艦隊、航空隊、陸戦隊がケルンテン公国に対する通商破壊のためにマインファルケン沖の西トーテンコプフ島へと先行配備された。
 なお、グリューネラント国民海軍は1938年7月15日にドイツ海軍へと編入され、西トーテンコプフ島の部隊はドイツ海軍アドリア部隊となった。
[参照]グリューネラント共和国グリューネラント国民軍ドイツ海軍アドリア部隊

グリューネラント国民空軍
 内戦勃発に伴って発足した、主に4つの戦闘航空団によって構成されるグリューネラント国民軍の航空戦力。なおケルンテン公国軍とは違って軍として独立していた。
 内戦勃発前は密かにドイツ国内で編成され訓練を行ってい、勃発と同時にグリューネラント地方へと移動してきた。また、内戦勃発時にはケルンテン陸軍航空隊からも多数の人員が参画していた。
[参照]グリューネラント共和国グリューネラント国民軍航空突撃大隊第1戦闘航空団第2戦闘航空団第3戦闘航空団第4戦闘航空団

グリューネラント国民軍
 陸海空の3軍制。陸軍は5個師団で構成されていた。第1〜3師団は元々ケルンテン公国軍警備師団であったが、ドイツからの援助とブラウエンタール騎兵旅団から奪った装備で再編成された。第204〜205国民突撃師団は留守部隊の人員を使って編成された。
 海軍は実質的に書類上の存在でドイツドイツでの訓練が行われていたが、第1潜水隊は海上輸送の遮断のためにアドリア海に移動した。
 空軍は4個航空団で構成され、第1および第2戦闘航空団が制空・護衛を担当、第3戦闘航空団が地上部隊の支援を担当し、第4戦闘航空団が戦略的な攻撃を担当していた。
 その他に命令系統は異なるが、ドイツの義勇軍国民親衛隊が存在した。
[参照]国民親衛隊第1師団第2師団第3師団第204国民突撃師団第205国民突撃師団パンテル軍団第1戦闘航空団第2戦闘航空団第3戦闘航空団第4戦闘航空団第1潜水隊

グリューネラント国民航空工廠
 グリューネラント国立の航空工廠。主に航空機や航空機用発動機の開発を行っていた。捕獲したB−17の修理もここで行われた。
[参照]B−17、DB601A−G、Ha37、He100G−1Ta01、Wi662A−1a

グリューネラント地方
 チェリンク州、ジルヴァ州、北ゴートイェーク州のケルンテン北部3州。昔から近隣国に併合される事が多かったため、独立機運が高かった。
[参照]グリューネラント共和国

グリューネラント独立戦争
 硅緑内戦グリューネラント及びドイツ側の呼び名。
[参照]硅緑内戦

クリスティ式サスペンション
 ウォルター・クリスティ氏が発明した転輪の懸架方式。大型転輪を縦置きコイルスプリングで独立懸架する事により、高速性と走破性を両立させる事に成功した。(ちなみに、当時の戦車では一つのサスペンションで複数の転輪を懸架するものが一般的で、独立懸架はほとんどなかった。)しかし内装式であるため車内の容積が小さくなるという欠点もある。P37Dもこの方式を採用していた。
[参照]P37Dウォルター・クリスティ

傾斜装甲
 垂直もしくは水平以外の角度を付けた装甲。角度を付ける事によって実質的な厚みを増すことができ、命中角によっては跳弾をねらう事もできる。

警備師団
 グリューネラント地方3州に駐屯していたケルンテン公国軍の軽師団。元々はグリューネラント地方の民兵組織をケルンテン公国軍へ編入したものであった。他の師団とは異なりグリューネラント地方に対する示威や暴動の鎮圧などを任務としていたため、3個連隊を基幹とし重装備も持たない小規模なものであった。これらの師団は武装蜂起の際に叛乱を起こしてグリューネラント国民軍に組み込まれた。
[参照]北ゴートイェーク師団ジルヴァ師団チェリンク師団

硅独戦争
 ケルンテン公国の国土そのものを巡ってケルンテン公国ドイツイタリアの間で行われた戦争。1938年9月15日に勃発し、1938年10月14日に締結したローマ条約をもって終戦したが、実質的には10月10日段階で戦闘行動は終結していた。
[参照]イタリアケルンテン公国ドイツローマ条約

硅緑内戦
 1937年にケルンテン国内で勃発した内戦。国北のグリューネラント地方が突如独立を宣言し、さらに海に接する港を求めて南侵を行った。ケルンテン政府はグリューネラントを国家とは認めなかったため、終始「一部反乱分子の起こした暴動」とし戦争とは認めていなかった。
[参照]グリューネラント共和国グリューネラント地方グリューネラント独立戦争ケルンテン公国

ゲオルグ・ルガー
 P08の売り込みを行った人物。一般的にP08を開発した人物はルガーだと思われているが、実際に開発したのはヒューゴ・ボルチャルトであった。
[参照]P08ヒューゴ・ボルチャルト

ゲッテルマシーネン
 Pzkj−Gu208F−Puの通称。ブラウエンタール騎兵旅団(グリューネラント国民軍によって武装解除)に配備されていたGu−208Fピュックラー氏らが改造した夜間・特殊戦用装甲戦闘猟兵。対人殺傷用兵器を多数搭載し、ラヴァンタールでの破壊活動を行っていた。
[参照]パンテル軍団

ゲルハルト・アイヒマン
 装甲戦闘猟兵の開発者。本来は自動人形職人だが師匠のハンス・テザリク氏の研究を引き継ぎ装甲戦闘猟兵を完成させた。大戦終結後に謎の失踪をとげた。失踪後、彼が直接制作した機体は特別に「ウービルト」と呼ばれる事となった。
[参照]ウービルト装甲戦闘猟兵

ケルンテン公国
 チェコスロバキア、オーストリア、イタリア、スイス、ドイツと国境を接するアドリア海沿岸の小国。ケルンテン公を元首とする立憲君主制で二院制の政治体系であった。グリューネラント地方を巡ってドイツとは関係が悪化していた。1937年にグリューネラント地方の独立を巡って内戦が勃発した。その後は、外交の失敗もあってドイツとの関係は更に悪化し、1938年9月にはドイツとの交戦に突入した。わずか半月ほどでケルンテン全土は制圧され、ドイツイタリアで分割統治される事となった。
[参照]イタリアグリューネラント共和国グリューネラント地方硅緑内戦ドイツ

ケルンテン公国海軍
 ケルンテン公国の海軍。主にナハトブラウ川、ドナウ川、アドリア海での警備、臨検、防衛の他に貴人の送迎なども行っていた。
 地中海艦隊ナハトブラウ艦隊、第1警戒艦隊、第2警戒艦隊の4個艦隊を擁したが、実際は各艦隊に艦艇は数隻しかなく、他国で言う「戦隊」を遥かに下回っていた。大型艦は前ド級戦艦鉄甲艦を保有していたが老朽艦であった。そのため実戦力は河川砲艦数隻と小型艇数隻程度であった。航空隊も存在していたが、人員不足のためほとんど運用されていなかった。
[参照]ケルンテン公国軍地中海艦隊河川艦隊ケルンテン公国海軍航空隊

ケルンテン公国海軍航空隊
 ケルンテン公国海軍の航空隊。Se29を15機(1個中隊)保有していた。しかし人員不足のため9機しか運用できていなかった。Se32の水上機型を導入する案も存在したが、予算の都合で廃案となった。
[参照]ケルンテン公国海軍

ケルンテン公国軍
 陸海軍の2軍制。陸軍は各州に1個師団の割合で編成され、他に緊急展開部隊として3個騎兵旅団が編成されていた。
 海軍は地中海艦隊河川艦隊で構成されていた。開戦当初は沿岸警備程度の能力しか有していなかったが、グリューネラント海軍に対抗するため急速に増強された。
 航空戦力は陸軍航空隊として国土を4管区に分けて運用されていた。海軍も航空隊を有していたが、人員不足のためあまり運用されていなかった。全軍の最高司令官はケルンテン公爵であったが、統帥権は高等軍事会議に委ねられていた。
[参照]歩兵師団、グリューネラント国民軍、高等軍事会議

ケルンテン公国陸軍航空隊
 ケルンテン公国軍の航空戦力。ケルンテン公国の航空戦力は空軍として独立しておらず、陸軍の航空隊として存在していた。国土を北部、中部、西部、南部の四管区に分割して管理・運営を行っていた。
[参照]ケルンテン公国陸軍ギュルテンシュタイン管区航空隊ゴートイェーク管区航空隊首都管区航空隊ブラウフリューゲル管区航空隊

ケルンテン国営航空
 旅客・貨物運輸を行うケルンテンの国営航空会社。内戦中も営業運航が行われていた。使用していた航空機などについては、資料が残されていないため不明である。

ケルンテン正統政府
 ゴットハルト公の死去後、カール公子を奉じた第204国民突撃師団によって樹立された政府。実際には政府としての機能はなかった。
[参照]ヴァルデガルト政府第204国民突撃師団マインファルケン政府ユリアーヌス政権

ケルンテン亡命政府
 ヴァルデガルト政府によって硅緑戦争後に樹立されたケルンテン公国の亡命政権。当初はイギリス本国に設立されたが、ドイツによるブリテン島占領の後にカナダへと移動した。
[参照]イギリスヴァルデガルト政府ケルンテン公国ドイツ

原型機
 →ウービルト

げんごろう
 ロルフ・マルヒ博士がケルンテン公国海軍技術少佐時代に開発した水中用装甲戦闘猟兵。潜航艇に腕を付けた様な形をしており、水中活動に特化した機体であった。この機体を原型として、数種の水中用装甲戦闘猟兵が開発された。
 当初はケルンテン海軍で運用されていたが、パイロットが機体ごとグリューネラントへ亡命したため、主にグリューネラント共和国海軍で運用される事となった。
[参照]グリューネラント国民海軍ケルンテン公国海軍マインファルケンビール工場ロルフ・マルヒ

ゴートイェーク管区航空隊
 元ケルンテン公国陸軍の航空隊。北ゴートイェーク州に拠点を置き、北部域の防空を担当していた。硅緑内戦勃発時、グリューネラント国民軍によって武装解除されたため消滅してしまった。
[参照]ケルンテン公国陸軍航空隊

航空突撃大隊
 グリューネラント国民空軍の陸戦部隊。当初は戦車なども有する攻撃的性格の強い部隊として編成される予定であった。しかし重装備は陸軍に優先して配備される事となったため、実際には基地防衛隊として編成された。
[参照]グリューネラント国民空軍

高等軍事会議
 首相を議長とした軍の意志決定機関。憲法制定時の勅令によりケルンテン公爵から統帥権を委ねられていた。首相、関係閣僚および有力議員と陸海両総司令で構成された。軍の予算配分や戦時の作戦方針などは全てここで決定された。構成員に軍人がいたが、シビリアンコントロールを実現するために決定権は与えられておらずオブザーバーとして参加していた。シビリアンコントロールそのものは機能していたのだが、政治家の大半は軍事音痴であったため内戦勃発後は有効な対応を行う事ができなかった。
[参照]ケルンテン公国軍

『蝙蝠』
 ドイツが密かに開発した音波兵器。パンテル軍団にて試験運用が行われていた。巨大な割に有効距離が短すぎたため、実戦では役に立たなかった。
[参照]パンテル軍団

国際停戦監視団
 国際旅団の有志によって結成された停戦監視団。軍事的、政治的に弱い立場であったため、実際に戦闘を押し止めるほどの効力はなかった。
[参照]国際旅団

国際特別航空隊
 国際旅団に持ち込まれた雑多な機体にて編成された航空隊。規模も小さく機種も雑多であったため、戦局に与えた影響はほとんど無かったが、個人レベルではそこそこの戦果をあげていた。
[参照]国際旅団

国際旅団
 ケルンテン国籍を有しない人たちで構成された義勇兵団。パンテル軍団の存在発覚後、ナチズムに反対するリベラリストたちの受け皿として編成された。創設当時の主な人員はスペイン内戦に国際旅団として参加していたが、相次ぐ内ゲバに失望してスペインを去った者達であった。
 義勇兵とは言うものの、ケルンテン公国軍の指揮系統に完全に組み込まれ、予算もケルンテンが負担していた。国際旅団には実戦テストのために諸外国から開発中の兵器が持ち込まれることが多々あった。この持ち込み兵器の中には航空機も多々あり、これらを運用する国際特別航空隊も編成されていた。新型爆弾投下に使用されたB−17も、元々は国際旅団に持ち込まれたものであった(機体そのものはケルンテンが購入)。また、38年6月には停戦にあわせて国際停戦監視団も編成された。
[参照]ケルンテン公国軍国際停戦監視団国際特別航空隊パンテル軍団

国民親衛隊
 クリステル候女の直属部隊。武装蜂起時にはチェリンク州議会占拠など重要な作戦を担当したが、ケルンテンとの交戦が始まると隊員は各師団へ転属した。その後は退役軍人による子供たちの教育機関となっていた。

国家社会主義
 国家の利益を最優先とすることで、結果的に全員の利益になるとする政治思想。全体主義とも言われる。
[参照]ドイツ国家社会主義労働者党

近衛騎士団
 ワルトシュタイン家の警護を主な任務とした軍事組織。軍内部から選抜された精鋭で構成されていた。儀礼的な意味合いが強い部隊ではあったがウービルトの大半を管理運営していた。またGu−208F中隊を10個程度持ち、さらには砲兵隊や自動車化された段列も有していたため、その戦闘力は1個師団にも相当するものであった。
[参照]ウービルトワルトシュタイン家

コリーン
 チェコ系の銃器メーカー。M27軽機関銃がケルンテン軍に採用されていた他、対装甲砲などの開発も行っていた。
[参照]M27

コルモラン
 Se29の通称。
[参照]Se29