暁の狼作戦 |
グリューネラントが37年6月2日に発動させた大規模な破壊工作。鉄道・通信の寸断、官公庁・軍・警察施設の爆破、さらにはウービルト4機の奪取に成功した。表立っての活動はこの時のみであったが、工作員はケルンテン軍の参謀本部や情報部にまで浸透していたため、守護天使作戦の直前まで工作は続いていた。 |
[参照]守護天使作戦 |
アガートラム |
哨戒艇2号の艇名。正式な艇名ではなく、乗組員がその様に呼んでいた様である。 |
アスカ |
日系人の経営する火器メーカー。個人用の軽火器から野砲まで手広く生産していた。 |
アスタルテ |
MJ−02の愛称。パレスチナ神話に出てくる戦いの女神。 |
[参照]MJ−02 |
アッティーフォ・アジュレ・アオゲンシュテルンAG |
ケルンテン公国の航空機製造会社。内戦中にDa5Aが制式化された事により、主要航空機メーカーの一つとなった。シュペーア・ウント・モーデル工房と共同で発動機や航空機の開発も行っていた。 |
[参照]Da5A、Da7b、シュペーア・ウント・モーデル工房、デゥイット |
アドルフ・ヒトラー |
ドイツの政治家。オーストリア生まれ。1919年にドイツ労働者党へ入党し、ドイツ国家社会主義労働者党と改変した。1921年に党首となったが1923年のミュンヘン一揆に失敗して投獄された。恩赦による出獄後は合法的な政権奪取を目指し、1933年にドイツ国家社会主義労働者党が政権政党となった事により首相となった。1934年には大統領を兼任する総統となった。 欧州大戦には伍長(戦時階級)として参戦していたため「伍長」と称される事もあった。特にケルンテンでは特徴的なチョビ髭と合わせて「チョビ髭伍長」などと揶揄されていた。 |
[参照]ドイツ、ドイツ国家社会主義労働者党 |
アメリカ |
北米大陸にある複数の州から構成される合衆国の俗称。欧州大戦の戦勝国であったが、戦後は孤立主義を採って極力他国との関わり合いを避けていた。このため、「世界の工場」と呼ばれる程の高い生産能力を持っていたにも関わらず、陸戦兵器や航空兵器の性能は(1938年当時としては)意外と低かった。1929年にはこの国での株価暴落によって、世界恐慌を引き起こす事となってしまった。 |
アリエテ師団 |
イタリア陸軍の機甲師団。ケルンテン侵攻に参加し、マインファルケンの制圧を行った。なお、ケルンテン侵攻に車両は一両も投入されていなかった。 |
[参照]イタリア |
アルラウネ |
ブルーメ級護衛艦の3番艦。 1938年8月16日、クーデター鎮圧のための砲撃中にドイツ海軍の攻撃を受けて沈没した。 |
[参照]ケルンテン公国海軍、ブルーメ級 |
アレックス・シャイデマン |
十三博士の一人。ヴァルデガルト工科大学客員教授で、小型・無人装甲戦闘猟兵の開発を行っていた。ハイデンポント分校爆撃の際に行方不明となった。 |
[参照]十三博士、装甲戦闘猟兵 |
アンティローペ |
S35の通称。日本語で「カモシカ」。 |
[参照]S35 |
イェーガー |
1:装甲戦闘猟兵(パンツァーカンプフイェーガー)の略称。ケルンテンやグリューネラントで「イェーガー」と言えば主にこれを指す。 2:射撃能力に優れた歩兵。 3:戦闘機 |
[参照]イェーガー至上主義、装甲戦闘猟兵 |
イェーガー至上主義 |
欧州大戦当時、ケルンテンは劣勢を強いられていたが、装甲戦闘猟兵の戦線投入によって一気に挽回しドイツ軍を駆逐する事に成功した。この時の装甲戦闘猟兵の活躍があまりにも華々しかったため、「イェーガーさえあれば戦争に勝てる」「イェーガーさえあれば他の兵器なんていらない」等と言う極端な思想が軍部のみならず国内全体に蔓延した。ゲルハルト・アイヒマン氏の手によらない装甲戦闘猟兵の性能があまりにも低いものであったため、一時は他の兵器による補完も考えられたが「Gu−208E」の開発成功によって再びこの思想は復活する事となった。この偏った思想のため、ケルンテンでは欧州大戦での経験が活かされる事なく、装甲戦闘猟兵を中心とした非常に偏った軍備とドクトリンが実施される事となってしまった。 |
[参照]イェーガー、ウービルト、ケルンテン公国、装甲戦闘猟兵 |
イーゲル |
P37Dの通称。日本語で「はりねずみ」。 |
[参照]P37D |
イーリス |
ブルーメ級護衛艦の1番艦。 1938年8月16日、クーデター鎮圧のための砲撃中にドイツ海軍の攻撃を受けて沈没した。 |
[参照]ケルンテン公国海軍、ブルーメ級 |
イギリス |
グレートブリテン島を本国とし世界各地に植民地を持つ連合王国の俗称。ケルンテン公国とは1910年代頃から友好関係にあった。硅緑内戦勃発後にドイツとの兼ね合いから関係は一次冷え込んだ。しかし1938年10月のチェンバレン首相暗殺によって反ドイツ派のチャーチルが首相に就任したため関係は急速に発展し、硅独戦争後にはケルンテン亡命政府が受け入れられた。 19世紀初頭より世界最大の海軍力を有しており、多くの国の海軍に多大な影響を与えた。ケルンテン公国海軍もこのイギリス海軍方式を導入していた。 |
[参照]ケルンテン公国、ケルンテン亡命政府、ドイツ |
イタリア |
南欧の大国(?)。ケルンテンとはブリクシア・ブラウフリューゲル問題で対立していた。………………。 |
[参照]ケルンテン公国 |
移動命令第9号 |
1937年6月2日にグリューネラントが発動させた最初のケルンテン侵攻作戦。電撃侵攻によって南ゴートイェーク師団を全滅させたが、カルニケ騎兵旅団の遅滞戦術やヘルツォークトゥン騎兵旅団の反撃の影響で当初の目的の半分しか達成することができなかった。 |
[参照]カルニケ騎兵旅団、グリューネラント共和国、ケルンテン公国、ドナウ渡河作戦、ヘルツォークトゥン騎兵旅団、南ゴートイェーク師団 |
威力偵察 |
敵に対して攻撃を行い、その対応から敵の実戦闘力を評価する事。通常の偵察と異なり、ある程度の戦闘力が要求されるため主に戦車や装甲戦闘猟兵が使用された。 |
[参照]装甲戦闘猟兵 |
ヴァルデガルト自動車工業 |
ヘッケル社傘下の自動車会社。その名の通りヴァルデガルト市に生産拠点を置いていた。ケルンテンの軍用車両は大半がここで生産されていた。 |
[参照]WMW、ヘッケル |
ヴァルデガルト政府 |
ゴットハルト公の死去後、高等軍事会議メンバーによってヴァルデガルトに樹立されたケルンテン臨時政府。硅独戦争後にイギリスで亡命政府を樹立した。 |
[参照]イギリス、ケルンテン正統政府、ケルンテン亡命政府、高等軍事会議、マインファルケン政府、ユリアーヌス政権 |
ヴィーゼル |
III号戦車の通称。 |
[参照]III号戦車 |
ウィーン会議 |
1814〜15年に開催された、フランス革命戦争およびナポレオン戦争の戦後処理会議。この会議でフランス革命およびナポレオン時代は無かった事とされ、旧体制の維持が確認された。また、この会議でケルンテン公国はスイスと共に永世中立国として認められた。 |
[参照]ケルンテン公国 |
ヴィルヘルム・グービッツ |
十三博士の一人。王立兵器工廠にて中量級装甲戦闘猟兵の開発を行っていた。彼の開発した機体の型式番号には「Gu」が付き、名称には型式番号の末尾を頭文字とした女性の名称が付けられていた。 |
[参照]十三博士、Gu−201、Gu−208B、Gu−208E、Gu−208F、エカテリーナ、王立兵器工廠、装甲戦闘猟兵、バベッテ、フェオドラ |
ヴィルベルヴィント |
VI号装甲戦闘猟兵A型の愛称。日本語で「旋風」。 |
[参照]VI号装甲戦闘猟兵A型 |
ヴィントシュティレ |
IV号装甲戦闘猟兵A型(orB型)の愛称。日本語で「凪」。 |
[参照]IV号装甲戦闘猟兵A型、IV号装甲戦闘猟兵B型、棺桶 |
ウェストファリア条約 |
1648年に締結された30年戦争の終戦条約。この条約によってオランダ、スイス、ケルンテン公国が独立国家として認められた。またグリューネラント地方はケルンテン公国に吸収された。 |
[参照]グリューネラント地方、ケルンテン公国 |
ヴェルサイユ条約 |
欧州大戦で敗北したドイツに対して課せられた敗戦条約。主な内容は莫大な賠償金、領土の割譲、軍備の制限など。特に軍備に関しては定数が大幅に削減された上、戦車や航空機などの装備が禁止され、さらには新兵器開発も大幅に制限された。この時に課せられた賠償金がドイツ経済を大幅に圧迫し、ナチス台頭の要因となった。1933年にドイツはこの条約を一方的に破棄し、再軍備を宣言した。 またこの条約によってグリューネラント地方はケルンテン公国による暫定委任統治が行われる事になり、1937年に行われる住民投票でドイツ、ケルンテン公国のどちらに帰属するか決定する事とされた。 |
[参照]欧州大戦、グリューネラント地方、ケルンテン公国、ドイツ |
ヴェローナ師団 |
イタリア陸軍の師団であるが、詳細は不明である。ケルンテン侵攻に参加し、ブリクシア師団との交戦の後、ロムランの制圧を行った。 |
[参照]イタリア |
ウォルター・クリスティ |
アメリカの戦車設計者。傾斜装甲やクリスティ式サスペンションなどの概念を戦車設計に盛り込んだ。氏の設計した戦車そのものはあまり売れなかったが、その設計思想はソビエト連邦で開花した。P37Dも氏の設計思想に大きく影響され、車体形状やサスペンションにクリスティ式を使用していた。 |
[参照]P37D、クリスティ式サスペンション、傾斜装甲、ソビエト連邦 |
ウービルト |
ゲルハルト・アイヒマン氏によって制作された63機の装甲戦闘猟兵。アイヒマン氏の失踪後、彼の弟子によって量産機が開発されたが、氏の制作した機体とはあまりにも能力がかけ離れていたため、氏の作成した機体は特別に「ウービルト(原型機)」と呼ばれる事となった。その機動力と装甲防御力は当時の陸上兵器と比較して別次元と呼べるほどのものであり、これだけを見れば「イェーガー至上主義」なる思想が発生したことも頷けなくはない。欧州大戦後は主に近衛騎士団で運用されていた。 |
[参照]イェーガー至上主義、ゲルハルト・アイヒマン、近衛騎士団、装甲戦闘猟兵 |
宇宙開発研究所 |
主に有人宇宙飛行を目的とした宇宙ロケットの開発を行っていた研究機関。フロイデ遊園地内に研究施設が存在していた。平行してジェットエンジンとターボプロップエンジンの開発も行っていた。 |
エカテリーナ |
Gu−208Eの通称。 |
[参照]Gu−208E、ジャガイモ |
エステンド師団 |
ケルンテン軍の歩兵師団。エステンド州に駐屯していた。エステンド州には首都があるため、特別に首都近衛師団とも呼ばれていた。また歴代の陸軍総司令はエステンド師団師団長出身者が就任していた。 |
[参照]歩兵師団、首都近衛師団 |
エドヴァルト・ピュックラー |
十三博士の一人。元々は王立兵器工廠に所属して装甲戦闘猟兵の開発を行っていたが、1932年にドイツへと亡命し、ドイツ製装甲戦闘猟兵の開発を担当した。 |
[参照]十三博士、Pkj I、Pkj IG・R、Pkj II、Pkj III、Pkj IIIG、Pkj IVA、Pkj IVB、Pkj V、装甲戦闘猟兵 |
エルマ |
ドイツの銃火器メーカー。日本ではシュマイザーの名称で知られていた。 |
[参照]MP37 |
エルミナ |
II号戦車の通称。「オコジョ」の意。 |
[参照]II号戦車 |
欧州大戦 |
「第一次世界大戦」の事。「鋼鉄の虹」の時代はまだ「第二次世界大戦」勃発前なのでこう呼ばれていた。 |
オーストリア・ハンガリー帝国 |
プロイセン・オーストリア戦争の敗北によって国力の低下したオーストリア帝国がハンガリーを併合(オーストリア皇帝がハンガリー王を兼任)する事によって1867年に成立した二重帝国。欧州大戦に敗れた後、サン=ジェルマン条約によってオーストリア、ハンガリー、チェコスロバキア、ポーランド、セルブ=クロアート=スロヴェーン(後のユーゴスラビア)に解体され、その他の地方は周辺諸国に併合された。 |
[参照]欧州大戦、ラヴァンタールの和約、マインファルケン条約 |
王立兵器工廠 |
近衛騎士団本部の地下に存在する秘密工廠。軍用装甲戦闘猟兵全ての開発・生産を行っていた。 |
[参照]近衛騎士団、装甲戦闘猟兵 |
大型砲艇 |
ケルンテン公国海軍が建造を予定していた新造砲艇。策定中にラヴァンタールが消滅し、その影響で予算が凍結されたため、計画は事実上中止された。 |
[参照]ケルンテン公国海軍 |