ザムエル・ツェルター |
十三博士の一人。王立兵器工廠にて重量級装甲戦闘猟兵の開発を行っていた。彼の開発した機体の型式番号には「Ze」が付き、名称には型式番号の末尾を頭文字とした(角の着いた)動物の名称が付けられていた。 |
[参照]十三博士、Ze−514B、王立兵器工廠、装甲戦闘猟兵、ボック |
シエナ師団 |
イタリア陸軍の歩兵師団。ケルンテン侵攻に参加し、ブリクシア師団との交戦の後、ロムランの制圧を行った。なお、イタリア陸軍師団としては珍しく、実際に黒シャツ連隊が配備された増強歩兵師団であった。 |
[参照]イタリア |
ジークフリード・フォン・グリンメルスハウゼン |
十三博士の一人。装甲戦闘猟兵の平和利用研究を行っていたが、1935年に引退した。しかしヴァルキリエ計画で強引に現役へと引き戻されてしまった。 |
[参照]十三博士、ヴァルキリエ計画、装甲戦闘猟兵 |
ジャガイモ |
Gu−208Eのグリューネラント側での通称。 |
[参照]Gu−208E、エカテリーナ |
シュヴィムケーファー |
ロルフ・マルヒ博士がグリューネラント亡命後に開発した、げんごろうの強化型。グリューネラント・ドイツ海軍で運用され、複数のケルンテン海軍艦艇を撃沈している。 |
[参照]グリューネラント国民海軍、げんごろう、ロルフ・マルヒ |
守護天使作戦 |
1937年7月1日に発動したケルンテン側の反攻作戦。2ヶ月ほどかけて戦線を押し上げていったが、グリューネラントがパンテル軍団を投入した事により失敗した。 |
[参照]パンテル軍団 |
シュツルム |
III号装甲戦闘猟兵の愛称。日本語で「嵐」。 |
[参照]III号装甲戦闘猟兵、III号装甲戦闘猟兵G型、ビア樽 |
シュツルムG |
→III号装甲戦闘猟兵G型 |
[参照]シュツルム |
シュテルン |
Da5Aの愛称。「星」の意味。 |
首都管区航空隊 |
ケルンテン公国陸軍の航空隊。エステンド州に拠点を置き、主に首都および中部域の防空を担当していた。 |
[参照]ケルンテン公国陸軍航空隊 |
首都近衛師団 |
エステンド師団の別名。他の師団とは異なり担当地区に首都が存在したためこう呼ばれた。またエステンド師団師団長は全師団長の筆頭とされ、陸軍総司令は必ずエステンド師団長経験者から選出さるなど他の師団とは扱いが多少異なっていた。 |
[参照]エステンド師団 |
シュピーゲル |
Ba−003Sの通称。 |
[参照]Ba−003S |
シュペーア・ウント・モーデル |
ケルンテンの航空機メーカ。爆撃機の生産を行っていた他、多数の実験機を開発していた。 |
[参照]S&M1 |
シュマックハフト |
1920年代に竣工したケルンテン公国海軍の河川砲艦。ナハトブラウ艦隊の旗艦。ナハトブラウ河の警備の他、賓客の送迎や民間人の体験乗艦にも利用されていた。1938年1月16日にマインファルケン湾内にて沈没した。 |
[参照]ケルンテン公国海軍 |
哨戒艇 |
→R−35型哨戒艇 |
ジョセフ・クラナッハ |
十三博士の一人。ヴァルデガルト工科大学客員教授で、精密な装甲戦闘猟兵の開発を行っていた。ハイデンポント分校爆撃の際に行方不明となったが、硅独戦争後に発見されドイツの捕虜となった。 |
[参照]十三博士、装甲戦闘猟兵 |
ジルヴァ師団 |
ケルンテン軍の警備師団。ジルヴァ州に駐屯していた。当初の装備は2線級ものばかりであったが、ドイツからの軍事支援によって第2師団として再編成された。 |
[参照]ドイツ、第2師団、警備師団 |
新ジャガ |
Gu−208Fのグリューネラント側での通称。 |
[参照]Gu−208F、フェオドラ |
水中用装甲戦闘猟兵 |
主にロルフ・マルヒ博士によって開発された、水中活動を目的とした装甲戦闘猟兵。大きく分けて潜水艇型の水中専用機と人型の水陸両用機が存在した。 しかし陸上機よりも活動時間が短いなどの制限が多く、また両海軍共に規模が小さかった事もあって、あまり活躍したとは言えなかった。 |
[参照]MJ−01、MJ−02、ケルンテン公国海軍、げんごろう、グリューネラント国民海軍、シュヴィムケーファー、スキーズブラズニル、防水型エカテリーナ、マルヒ・モルヒ、ロルフ・マルヒ |
水雷艇 |
→TB−18型水雷艇 |
酢キャベツ |
Ba−003Sに対するグリューネラント側の蔑称。 |
[参照]Ba−003S、シュピーゲル |
スツーカ |
スツールカンプフファールツォイクの略。急降下爆撃機と言う意味だが、Ju87の事を指す場合が多い。 |
[参照]Ju87B−1 |
スドウ・ブラウナウ海軍兵器研究所 |
ケルンテン海軍の兵器研究所。魚雷などの開発を行っていた。 |
スペイン内戦 |
1936年にスペインで勃発した内戦。人民戦線政府に対してフランコ将軍ら率いる軍部・右翼諸勢力が叛乱を起こした事によって始まった。ソビエト連邦や国際義勇軍が人民戦線を支援したため、ドイツ・イタリアはフランコ軍に義勇軍を送った。グリューネラント地方を巡ってドイツと対立していたケルンテンは、ドイツに対する牽制から人民戦線側に義勇軍を送った。しかし、1937年に入るとケルンテンの国内情勢が緊迫してきたためケルンテン義勇軍は引き上げられた。 この内戦にはドイツ・ケルンテン両国が装甲戦闘猟兵を持ち込んでいたため、史上初めての装甲戦闘猟兵同士による戦闘が発生した。この時の戦訓からケルンテンは全機への無線装置の配備を始め、ドイツはII号装甲戦闘猟兵を一線から外し、VI号装甲戦闘猟兵を機動力重視の機体に改める事になった。 |
[参照]イタリア、ケルンテン、ソビエト連邦、ドイツ |
聖ヴァレンタインデーの虐殺 |
ロムラン市にて1938年2月14日に発生した、暴徒とブリクシア師団留守番部隊との激突事件。鎮圧されたものの多数の死傷者が発生し、ブリクシア独立派とブリクシア師団との間に後々までの禍根を残す事となった。 |
[参照]ブリクシア開放戦線、ブリクシア師団 |
ゼーヴェリンク |
ケルンテン最大の航空機メーカ。主に戦闘機の開発・生産を行っていた。 |
[参照]Se12、Se29、Se32 |
世界恐慌 |
1929年のアメリカでの株価暴落に端を発した世界規模の大恐慌。この対策として列強各国はブロック経済に移行したため、経済は大きく停滞することとなった。また欧州大戦の戦勝国は損失の埋め合わせのためにドイツから多額の賠償金を取ったため、ドイツの経済は破綻してしまった。この事から「強いドイツ」を標榜したドイツ国家社会主義労働者党が台頭する事となった。 |
[参照]アメリカ、ドイツ、ドイツ国家社会主義労働者党 |
全体主義 |
→国家社会主義 |
戦闘航空団 |
主に戦闘機によって構成され、制空・邀撃・護衛などを主な任務とする航空部隊。 |
[参照]グリューネラント国民空軍、第1戦闘航空団、第2戦闘航空団、第3戦闘航空団、第4戦闘航空団 |
装甲師団 |
戦車を中心とした大規模な戦闘集団。火力と機動力に優れていた。なお、通常"PanzerDivision"は『機甲師団』か『戦車師団』と訳される事が多いが、硅緑内戦では戦車と装甲戦闘猟兵の2種類の装甲兵器が存在するため、硅緑内戦研究家の間では『装甲師団』と言う訳語が使われている。 |
装甲戦闘猟兵 |
ゲルハルト・アイヒマン氏が自動人形の技術を応用して開発した全高8m程度の人型兵器。通称「イェーガー」。人間用の銃器や刀剣類を大型化したものを手で扱って戦闘を行う。欧州大戦時にアイヒマン氏が制作した物と以降に弟子が開発した物とではその性能に天と地ほどの開きがある。そのため、アイヒマン氏が直接制作した機体は特別に「ウービルト」と呼ばれている。 |
[参照]イェーガー、ウービルト、ゲルハルト・アイヒマン、人形 |
ソビエト連邦 |
1938年当時、唯一の社会主義国家。何故か国境も接していないケルンテンに対して非常に興味を持っていた。その影響もあってか、ドイツに続いて2番目にグリューネラントを国家として承認した。第二次大戦後、グリューネラントを社会主義国家として独立させた。 |
[参照]グリューネラント共和国、ケルンテン公国、ドイツ |