命より大切なもの 第六話


早朝。

研究室にはいつもまずルーツがやって来る。
ルーツがやって来てから、残りの研究員がやって来るまで2時間はかかる。
なぜ彼はそんなに早くやって来るのか。
実は、ただの習慣に過ぎなかった。

いつも見ている風景なのに、薄く霧がかかったような独特の空気。
その早朝の空気が、雰囲気が、彼は好きだった。

 「ふう・・」

ルーツは最近疲れていた。

彼は温厚な性格と言ってよかった。
その彼にとって、アルカにしている人体実験は、常に罪悪感を感じるものだった。
だが、科学の進歩の為には仕方の無い事・・・そう割り切って来た。

 「やぁルーツ。相変わらず早いな」

 「ロバート・・」

 「どうした?私の顔に何か付いているか?」

 「いや・・早いな」

 「ああ、少し悪い知らせがあるので、一刻も早く知らせてあげようと思ってな」

 「悪い・・知らせだと?」

 「ああ、七瀬が長期休暇に入る事になった」

 「!?」

 「その事について今後の事を検討しなくてはいけなくなってな」

・・七瀬。
お前は一体、何をしたのだ・・・?

 「おはようございまーす♪」

 「!?」

 「こ・・この声は、七瀬か!?」

振り返って見た。
そこには、確かに・・・確かに七瀬がいた。

 「・・・」

 「ん?どうしましたロバート主任?

  ・・まるで、俺がもう二度とここに来ないと思っていたような顔をして?」

 「・・・」

ロバートは黙っている。
七瀬は、ロバートを挑発しているのか?

 「ま、今日も研究、頑張りましょう!」

 「・・ああ、そうだな」

ロバートはそう言ってからその後、一言も話はしなかった。

・・研究は嫌なものだ。

研究が嫌いだという訳ではない。私は科学者なのだから。
嫌だと言ったのは、今行っている研究だ。
致し方ない・・そう思っていても。
辛く、そして悲しい研究だ。
一刻も早く終わらせねば。
その思いが、私を研究に没頭させた。

   * * * *

 「ルーツ、今後について話がある」

ロバートにそう呼び止められた時、嫌な予感がした。

 「・・で、今後がどうした」

 「うむ。今の研究はいささか停滞しているとは思わんか?」

 「そうだな」

 「そこでな。研究を一気に進める、良い方法を思いついたのだが・・・」

 「・・なんだ?」

 「明日、アルカ・ノバルティスを解体する」

 「何だと!?何故だ!?分かるように説明しろ!」

 「そう感情的になるな、ルーツ。
  今の研究方法では、彼女に負担がかかり過ぎている。
  彼女はXTORTの、いや人類の未来の為に犠牲になる事を望んでいる。

  そんな彼女に、これ以上苦しい思いをさせたくは無い。
  だから、彼女の精神には眠ってもらう」

 「眠る・・だと?綺麗事を言うな!殺すという事には変わりはない!」

 「そうだな・・。だが、彼女は死ぬつもりだ。
  幸い、彼女の身体さえ生きていれば研究は進められる。
  それどころか、これからは罪悪感を感じずに研究を進められるだろう?
  研究でいつか死ぬのなら、苦しい死より、安楽死の方が良いとは思わんかね?」

 「・・・」

・・確かにそうだ。
このまま行けば、確実に彼女は死ぬだろう。
だったら、これ以上苦しませない為というのは合点がいく。

だが・・・。
ロバートは『彼女』と言った。

今までロバートは彼女の事をモルモットと呼び、彼女となんて呼びはしなかった。
彼女の事なぞ気にもしていなかったロバートがいきなり彼女の為だと言い出すのはおかしい。

 「ロバート、今度は何を企んでいる」

 「企んでいるとは心外だな。私は常に研究の事を考えているよ。
  まあ、モルモットは騒ぐより何も言わない方がやりやすいとは、少し思ったがね」

 「それが本音だろう!」

 「ま、否定はしない。
  だが、君も私の意見を否定は出来ないだろう?」

 「グ・・」

 「明日、アルカ・ノバルティスは解体する。これは決定事項だ」

ロバートは、そう冷たく言い放った。

この会話を、部屋の外から優影は聞いていた。偶然、通りかかったのだ。

アルカを解体するだと!?
そんな事をさせるわけには・・・。
・・いや、アルカが犠牲になる事を選んだ場合、それが1番良いのかも知れない。
苦しまずに済むのなら・・・。

・・だが、なぜ俺がいるかも知れない場所でこんな話をしている?
俺がその事を聞いたら、アルカを逃走させる危険性だってあるってのに・・?

・・なんにせよ、このままだと明日、アルカは解体されてしまう。
今日、アルカに答えを聞かなくてはならないな。

・・・そろそろ、潮時だな。

   * * * *

ロバートはルーツと別れ、自室に戻っていた。
そして葉巻を吸う。

普段、ロバートは葉巻を吸わない。
だが、特定の場合だけ葉巻を吸う事にしている。
研究が完成した時、そして何かしらの決着を付ける時、だ。

XTORTの研究は完成していない。
つまりロバートが葉巻を吸っているのは、後者の場合にあてはまる。

 「計画通り、モルモットの解体話を七瀬に盗み聞きさせる事に成功した・・。
  これで七瀬は、今日中に何かしらの行動を取るだろう」

ふぅーー。
葉巻の香りを楽しみながら、ロバートは薄く笑みを浮かべた。

続く



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